(個性や特徴を無理に捨てる必要はない)
新たなものを創造するときに大事なことは、「失敗を恐れないこと」だと思います。何事もトライしてみないと分からないのです。「普通、誰も考えないこと」を考えることが大事だと思います。
例えば、抜擢(ばってき)人事の成功率は、一般的に三、四割と言われていますが、実際に抜擢して仕事をさせてみると、意外にできることがけっこうあります。
しかも、なかには、見ていて「生意気だな」と思うような人ほどよくできることがあるのです。
もちろん、ほかの人ができるようなことは、自分もできたほうがよいのですが、自分の個性や特徴のようなものを無理に捨てる必要はないと思います。
若いころは誤解されやすい時期ではありますが、若い人には「誤解される権利」もあります。その「他の人と変わっているところ」が、自分の長所である可能性は極めて高いので、それを見落としてはいけません。むしろ、それを「弱点だ」と思って、あまりくよくよしすぎることには問題があります。
(「嫉妬(しっと)されても平気でいる」ことの力)
また、頭が切れる人は口が悪いことも多く、ズケズケとものを言うために嫌われることがあります。
例えば、営業部門などで頭角(とうかく)を現してくる人など見ると、上司や先輩のいじめなどを受けることが多いようです。そういう部門は、たいてい数字で勝負をする世界なので、どんどん結果がでれば、みなが黙るようになることはあります。しかし、それまでの間には、人間関係で苦しむことが多いのです。
自分が悪い人間で、悪いことをしたために、他人(ひと)からいじめられるのであればしかたがありませんが、会社に貢献し、成功したことでいじめられる場合には、それを受けて立たなければいけません。
これは、いわいる「嫉妬」にしかすぎないものであり、この“嫉妬の銃弾”をかいくぐらないかぎり、出世というものはありえないのです。
嫉妬をする人にとっていちばん嫌(いや)なことは、「嫉妬されても平気な人」と出会うことです。逆に、「嫉妬されたらすぐに引っ込むような人」は、嫉妬をする人にとっては“楽な相手”なのです。嫉妬の銃弾を発射すると、亀のようにパッと頭を引っ込めてくれるならば、「嫉妬したかいがあった」ということになり、仲良く“平等”に生きていけるわけです。
ところが、どんなに嫉妬されても平気な人は、やはり手強(てごわ)くて、そのうちに、嫉妬している人のほうが何か悪いような気がしてきます。そして、「他人に嫉妬している暇(ひま)があったら、自分ももう少し頑張ってみようかな」と思うようになります。
そういう意味で、「嫉妬されても平気でいる」ということも、世の中に対する“啓蒙(けいもう)”の一つになるのです。
したがって、若いころに何か“角(つの)”が出てくるというか、飛び出してくるタイプの人には、人間関係や自分の人格についての悩みが多く、いろいろな苦労があるとは思いますが、「そういう自己認識が、意外に違っている場合がよくある」ということを、述べておきたいと思います。
---owari---
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