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名歌でたどる日本女性の心 ~ 愛と自己犠牲と(後編)

2022年03月21日 | 日本
「たわまぬ節はありとこそきけ」
西郷千重子
なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ

西郷千重子は会津藩家老・西郷頼母(たのも)の妻。新政府軍が会津城下に攻め込んだとき、西郷家では家を守る妻・千重子が子女に向かって、「お城に入って殿様に従いたいが、子連れではかえって足手まといになるやもしれぬ。むしろ自刃して国難に殉じたい」と言い、長子のみを城に向かわせ、残るすべての家族ともども自刃した。その千重子の辞世の歌である。

「なよ竹のように吹く風にゆれ揺れ動く女の身だが、そのなよ竹にも曲がらない節があると聞く」という意。「ありとこそきけ」という断固たる調べが、武士の妻らしい毅然とした心根を表している。

「はるけき空をわたるかりがね」
昭憲皇太后
広島の行宮(かりみや)さしていそぐらむはるけき空をわたるかりがね

明治27年、日清戦争勃発に伴い、大本営が広島に移され、明治天皇も広島を御座所とされた。行宮とは天皇が旅先で設けられる借りの宮の意。東京の空を西に飛んでいく雁の姿に、広島での明治天皇をお偲びになったお歌である。

前出の鶴の群れに遣唐使として旅行くわが子を思う母の歌とよく似ている。夫を思い続ける妻、子を思い続ける母の心は、飛び行く鳥の姿にも、愛する者の所に向かうと思えてしまうのであろう。

「つはものに召し出(いだ)されし我せこは」
大須賀松江
つはものに召し出(いだ)されし我せこはいづくの山に年迎ふらむ

日露戦争中の明治38年(1905)の歌御会始(現在の歌会始)で、1万余首の詠進歌の中から選ばれた一首。「山梨県、陸軍歩兵二等卒妻、大須賀松江」と作者名が披露されたとき、参会者一同、ハッとしたという。二等卒といえば、軍人の中でももっとも位の低い妻である。そういう者の歌も、まごころがこもっていれば、天皇の大御歌と同じ場で朗唱される。まさに「和の前の平等」を具現した出来事であった。

「つはもの」とは兵士、「せこ」とは妻が夫を親しんで呼ぶ言葉。出征した我が夫は、いづこかの山で無事に新年を迎えているのだろうか、と案ずる妻のあるがままの気持ちをそのままに歌った歌である。

「つれづれの友ともなりてなぐさめよ」
貞明皇后
つれづれの友ともなりてなぐさめよゆくことかたきわれにかはりて

貞明皇后は大正天皇のお后(きさき)。このお歌は昭和7年、「癩(らい)患者を慰めて」と題して詠まれた5首のうちの1首。貞明皇后は癩病(ハンセン病)患者へのご同情が深く、毎年、救済事業に御下賜金を下される傍ら、御所の庭の楓(かえで)の苗を全国の療養所にお送りになって、苦しむ患者をお慰めになった。「楓よ。見舞いに行くことが難しい私に代わって、することもなく寂しい患者等の友となって慰めよ」という、慈愛あふれるお歌である。

皇后はまた「国母」とも言われる。それは歴代の皇后が、母がわが子を思う気持ちで、国民の幸せを念ぜられた事による。

「み軍(いくさ)に征く猛(たけ)く戦へ」
与謝野晶子
水軍の大尉となりてわが四郎み軍(いくさ)に征く猛(たけ)く戦へ

与謝野晶子と言えば、日露戦争中に「君死にたまふことなかれ」の反戦歌を詠んだ歌人として、歴史教科書などに紹介されているが、それは偏向教科書によく見られる「つまみ食い」である。その与謝野晶子が、大東亜戦争中にこういう歌を詠んでいたことをあわせて紹介しなければ、その心は伝わらない。

この歌は与謝野晶子の4男・昱(いく)が東京帝国大学工学部から海軍に入り、大東亜戦争に赴いた時の歌である。「四郎」とは四男の意。「海軍の大尉となって出生するわが子よ。猛々しく戦え」という歌である。

「水軍」も「みいくさ」も日本古来からの言葉で、九州の防備につく防人(さきもり)を送るかのような万葉調の歌である。祖国の危機に際して、名誉ある「水軍の大尉」となった「わが四郎」に武人の誇りをかけて存分に戦って欲しいという思いであろう。

「嵐のあとの庭さびしけれ」
松尾まつ枝
君がため散れと育てし花なれど嵐のあとの庭さびしけれ

昭和17(1942)年5月、特殊潜行艇3隻による特別攻撃隊がオーストラリア・シドニー軍港を急襲し、軍艦1隻を撃沈するも、すべて戦死を遂げた。

この歌はそのうちの一隻の艇長・松尾敬宇(けいう)大尉の母、まつ枝が一周忌に詠んだもの。「天皇陛下のためには命を投げ出せと育てたわが子だが、その通りに命を散らした後は寂しい」という武人の母の覚悟と哀しみが詠われている。

豪州海軍は、松尾大尉らの愛国心と勇気を称え、戦時中の敵国軍人にもかかわらず、海軍葬をもって手厚く弔(とむら)った。

戦後、まつ枝は、その答礼のために84歳の高齢でオーストラリアに赴いたが、敵味方の区別なく戦いに命を捧げた将兵の御霊に和歌と祈りを捧げるその姿に、豪州国民は深く共感し、行く先々であたたかく出迎えた。

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以上、11首の日本女性の短歌をたどってみたが、いずれも夫や子への深い愛情を詠んだものである。これらの歌からは、皇后陛下が子供時代に「愛と犠牲という二つのものが一つに感じられた」と言われたお言葉で、すべてが言い尽くされているように思われる。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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