自己憐憫というのは、決してどこへも通じない道である、ということを知らねばなりません。自分は不幸であるといくら言い聞かせても、その道はどこにも通じない道なのです。その先は行き止まりなのです。それを知らねばなりません。
そのことに気づくことです。そうすれば、こういうマイナスの思いというものが、よくよく考えてみるならば、じつは他の人から貰いたい、奪いたいという気持ちのすり替えである、ということがわかってきます。
結局、自分は要求ばかりしているのです。他の人から、こうしてほしい、こうしてほしいと要求ばかりをしていて、その心は貪欲であってとどまることを知らず、ちょうどあの蟻地獄のように、いろいろなものを吸い込みながら埋まることがないのです。すり鉢のようになっていて、何をなかに入れても埋まることがなく、常に引きずり込むいっぽうになっています。ブラックホールのように、あらゆるものを引きずり込むいっぽうになっているのです。
こうした蟻地獄のような心を持った人びとが地に満ちたら、いったいどうなると思いますか。「道を歩けば、あそこにもここにも、パックリと口を開けた蟻地獄がある。よく見たらそれは人間の顔をしている」というようなことにでもなったら、どうなりますか。町のなかを歩けたものではありません。「あそこにもここにも、地面から手が出ていて、足をつかんで引っ張り込む、自分を引きずり込んでいく、自分から奪っていく」――こういう人が満ちたなら、いったいどうなるでしょうか。
いま私は、イメージとしてみなさんに語っていますが、肉体を去って霊になり、みなさんがあの世に還ったときには、現実にそういう世界があるのです。本当に地面から手が出てきて、人を引っ張り込みます。そうしたことのみによって幸福を得ようとしている人たちのいる世界が、現実にあるのです。地獄というところに、本当にあるのです。これは決して幸福ではありません。本人も幸福ではありませんが、周りにも不幸しか出していません。
そして、自分以外の人びとが、みんな不幸になっていくとするならば、いったい誰が自分を幸福にしてくれるのでしょうか。自分を幸福にしてくれるのは、幸福な人なのです。幸福な人こそが、自分を幸福にしてくれるのです。救ってくれるのです。不幸な人が自分を救ってくれるはずはないのです。ですから、自分自身が救われたいならば、幸福になりたいならば、幸福な人たちを世の中に増やしていくことこそが、ひじょうに大事なことなのです。
ですから、自分の現状が、苦しいことばかり、足らないことばかり、満足しないことばかりだと思っても、その思いをいったん停止して、「いや、現実は苦しいけれども、このなかで自分の為せることは何だろうか。現在ただいまの、この満たされない環境においても、自分の為せることはいったい何だろうか。何もないことはないだろう。何かは為せるはずだ。少なくとも、世の中のためになること、世の人びとを幸福にできる何かをすることができるはずだ」と思わなければなりません。
「いかに自分が苦しくとも、あの蟻地獄の蟻のようには、決してなるまい。自分がもし蟻地獄の蟻になってしまったとしても、周りの世界に蟻地獄が満ちているとするならば、その蟻地獄のなかから、命あるかぎり、声をからしてでも、地上を歩く人に、『足もとに気をつけなさいよ。こっちに来てはいけませんよ』と呼びかけよう。たとえその程度の仕事であっても、してみたい」と思わねばなりません。
少なくとも、自分と同じように不幸な人を増やそうというような心は、卑怯な心です。自分が不幸であるとしても、「このような不幸は、自分一人でくい止めねばならない。ほかの人を、断じてこんな目に遭わせてはならない。こんな気持ちにさせてはならない」と思わねばなりません。
そうであってこそ、他の人は蟻地獄に墜ちずに済みます。そして、蟻地獄に墜ちなかった人こそが、不幸な人たちを助けていくことができるのです。そうなのです。そうした幸福な人たちをつくるために、たとえ自分はいま不幸のなかにあったとしても、努力せねばなりません。マイナスの思いを断ち切り、そしてプラスの思いを出していかねばなりません。他の人びとが幸福になる方法はないだろうか、ということを常に考えていく必要があるのです。
たとえ病人であっても、他の人をよろこばせることぐらいはできます。医者が病気であっても患者を治せるように、自分がひじょうに苦しい立場にあっても、自分と同じ目に遭っていない人に対しては、導きの言葉を与えてあげられるものなのです。
他の人に対して、そうしたプラスの行為ができない人は、要するに、あまりにも自分自身のことばかりを考えすぎているのです。自分のことに執われすぎているのです。少しそれをやめなければいけません。
関心を周りに向けねばなりません。ほかにも大勢の人たちがいます。大勢の人たちが一生懸命に生きていこうとしています。その事実に、なぜ目をつぶるのでしょうか。自分だけが懸命に生きているわけではありません。ほかにも一生懸命に生きている人がいます。そちらにも目を向けねばなりません。
これが大事なことです。自分以外の環境、自分とは違った立場においてもまた、努力している方が大勢います。こうした人たちへのまなざしを忘れてはなりません。
---owari---
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