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マイナスの思いを止めよ(前編)

2017年12月05日 | 人生

今、みなさんが成功していないとしましょう。今、幸福でないとしましょう。なぜですかと、と問いかけられたとして、みなさんは必ず答えることができます。必ず、こうした理由で自分はだめであった、ということが言えるのです。

 

たとえば、若い人であれば、「受験に失敗した。それが自分の人生を狂わせてしまった」という人もいるでしょう。あるいは、「結婚に失敗した」という方もいるでしょう。結婚したかった人に断られて、うまくいかなかった。一緒に結婚生活を送ったが、すぐ破綻してしまった。このようなことだってあるでしょう。あるいは、新しい事業を始めたけれども、わずか一年、二年で倒産してしまった。こうしたこともあるかもしれません。

 

それぞれの人に、その不幸の原因を追究したら、必ず何らかの答えは返ってくるでしょう。しかし、その答えの多く、おそらく八割か九割は、間違いなく自分以外のものにその原因を求めるものとなります。ほとんどがそうです。

 

家庭教育や友人などがよかったために、自己反省ができる方ももちろんいますが、大多数の方は、事業に失敗すれば、「あの時、ああいう人を信用したのが失敗であった」「従業員の誰それがこういう問題を起こした」「たまたまお金を借りていたところ金利が上がった」「取引先がこうなった」などいろいろ理由をつけますけれども、彼らは必ず自分以外のところに原因を求めます。

 

また、自分の結婚してほしかった人が自分のもとを去った場合に、それをどう見るでしょうか。仮に女性としたならば、相手の男性の不実をせめるでしょうか。それとも、その男性の心を惹いた他の女性を責めるでしょうか。いずれにしても、そういう思いが心のなかにあるはずです。相手の不実を責める。あるいは、その人を誘惑したと思える他の女性を責める。そういう気持ちがあるでしょう。

 

しかし、こうした恨みにも似た、自分のやるせない思いを、ただ破壊的に出すだけでは、決して幸福というものはやってこないのです。それは、どんどん自分を惨めにしていくいっぽうだからです。

 

たとえば、みなさんが、ある人と知り合いになったとしましょう。その人が、「私はこんなに不幸ですけれども、その不幸の原因は、今から十年前に自分の夫が倒産したからです。それ以後、不幸で不幸で、十年間、借金の連続で苦しみ抜いて・・・・・」という話をしたとします。

 

一回目は、みなさんは同情するかもしれません。しかし、二度目に会って、また同じ話を聞いたときには、「ああ、また、こういういやな話を聞いたな」と思うでしょう。三度目になったらどうでしょうか。同情する気持ちから、今度は、その人に対する疑問へと変わっていきます。「なぜ、そういう気持ちのままでいるのだろうか。なぜ、もう一度、自分自身で新たな道を歩もうとしないのだろうか」という気持ちが起きてくるのです。

 

すなわち、「過去の不幸というものを抱きしめている人は、結局、幸福になろうと考えていない」と言わざるをえないのです。不幸を握りしめて、それを愛しすぎているがゆえに、その人が接触する周りの人びとをも、悪い影響で包んでしまうのです。

 

他の人びとがその人と会っていると、心が暗くなってきます。暗い心になってきます。ですから、思わず知らず、足が遠のいていくようになります。その人と話をしていると、だんだん暗くなってくる。それで遠ざかっていく――。

 

そうすると、その暗い話をしている人はどうなるかというと、「私はこんなに不幸なのに、私のことを同情してくれる人はおらず、逆に、みんな、どんどん遠ざかっていく。世の中の人は、なんて冷たい人ばかりなのだろうか。誰も一片の愛もないのだろうか」――そのように感じ、そしてさらに不幸の再生産を繰り返していくようになっていきます。

 

これなども、心の法則を知らないがために、自分で不幸をつくり出し、悲劇の主人公になっていくタイプと言えましょう。

 

私は、繰り返し繰り返し、みなさんに伝えたい。憎悪、嫉妬、不平不満、愚痴、こういうものがごく自然に心のなかから出てくるとしても、それを放し飼いにしてはならないということです。そうです。心のなかから出る、嫉妬、猜疑心、不平不満、愚痴などという野獣を、放し飼いのごとく口から出し、自分の内から出して、そのままに走らせたときに、その野獣は他の人を害するだけでなく、返ってきて自分自身にも噛みついてくるのです。その事実を知らなくてはなりません。

 

世の中は、人間と人間との関係で成り立っています。相手を害した言葉は、必ず自分に返ってくるのです。ですから、今、人生の危機にあり、不遇期にあり、不満のまっただなかにあると思う人は、そのマイナスの思いというものを、まずいったん止める必要があります。

 

自分がそのような不幸の思いを生産しているなら、そして口からそういう野獣たちを町のなかに放っているとするならば、そこに柵を下す必要があります。そして、野獣たちを出さないようにしなくてはいけません。そうしないと、その野獣たちが自分にも他人にも悪いことをしていきます。まず柵をして、これを出さないようにしなければいけません。マイナスの思いを、そこでいったん止めなければいけないのです。断固として止めなければいけません。

 

過去いかに不幸なことがあっても、それを同情してもらったところで、真なる幸福は決して来ないのです。もし同情されてよろこんでいるようならば、その人は、そうした浅薄なよろこび、浅く薄いよろこびに、その麻薬のような誘惑に勝てなくなって、いつも他の人の同情を引くような生き方をしていくようになります。その結果、自分自身をだめにしていくのです。

 

---owari---

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