(成功とは、結果ではなく、自分自身が高まっていく感覚のこと)
成功というものについて、これから“山”を登ろうとしている人に対して、何らかの手引になるようなことを述べていきたいと考えています。
さて、若いころには、誰しも成功に憧(あこが)れるものであり、「成功とは、何らかの結果を手に入れた状態である」と考えがちです。私もそうでした。
しかし、私は、その後、さまざまな体験を積み重ねてきて、「成功とは、結果を手に入れることだけではなく、自分自身が高まっていく感覚を自己確認しながら、人生の達成感を味わっていくことではないか」と思うようになりました。
成功には、「こうであれば成功である」と言えるような、客観的な基準があるわけではありませんが、各人が、「自分としては、まずまず頑張れた。よくやれたので、自分の頭をなでてやりたいぐらいだ」というような達成感、成功感を味わうことは可能だと思います。
(「思いの力」を実感するには、十年単位の歳月が必要)
成功というものについて、まず述べておきたいことは、やはり、「思いの力」「考え方の力」についてです。
成功法や願望達成に関する書物を読むと、「思いが大事だ」とか、「考え方が大事だ」とか、そのようなことがよく書いてあります。
ただ、多くの人には、それを文字として読んだとしても、分かったような、分からないような気持ちがあるだろうと思うのです。なぜなら、それには、一定の年数をかけて実際に試してみなければ分からないところが、どうしてもあるからです。
若いころの私も、「ものの考え方によって将来が変わっていく」という思想の影響を受けました。当時の私には、「それを実践したら、結果的にどうなるか」ということまでは分かりませんでしたが、今、ようやく、過去を振り返ってみて、「このように考えれば、このようになる」ということが言えるようになってきました。
私は、「人間は、その人が考えているとおりの者である」「その人が考えていることを見れば、どんな人かが分かる」「その人と、その人が考えていることはイコールであり同価値である」「その人が考えているとおりに人生は展開していく」ということを述べていますが、二十代ぐらいの人は、それを聴いても、ストレートにそうは思えず、「自分が思ったり考えたりしたとおりには、なかなかならない」と思う人のほうが多いでしょう。
しかし、私には、二十年、三十年の歳月を経て、「ああ、それは本当だな」という実感が、ひしひしと押し寄せてきたのです。
若いころには、客観的な材料として周りの人たちの意見等を聴いても、自分の姿を客観的に描くことがどうしてもできなかったのですが、今の私は、若いころに思っていたとおりの姿になってきています。まことに不思議です。
「『思いには力がある』と言うけれども、それは本当なのだ。『自分は、こういう人間であり、このようになっていくべきだ』という、将来の姿や理想の姿を何十年か描き続けると、気がついたら、そのような状態になっているものなのだ」
今にして思えば、確かに、そう言えます。
本当に不思議ですが、十年単位の歳月を経なければ、それが分かるようにはならないのです。
---owari---
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