このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

謙虚さと感謝

2017年03月09日 | 人生

私は常づねあなたがたに教えていたはずである。

人は自分の幸福だけを追求してよいものではないと、

自ら一人だけが幸福であればよいものではないと、

常づね、私はあなたがたに教えていたはずだ。

 

中道の道に入りて、自らが幸福となりし時、

その幸福は、自ら一人のものではないということを知りなさい。

自らが中道の道にて得たその幸福は、

まわりの多くの人びとに返してゆかねばならない。

まわりの人びとをも救う力でなくてはならない。

私は、そう思うのだ。

 

何ゆえに中道の道があるのか、あなたがたはほんとうに考えたことがあるか。

たとえば、中道から外れて、

そして、あなたが苦難のいばらの道を歩む時に、

人びとは、あなたをどう救わねばならないかということで、

心が躍起になっているであろう。

 

あなたがたをどう救おうかと、そのことばかりで夢中であろう。

多くの人びとに悩みを与え、苦しみを与えるということは、

あなたは今、マイナスの人生を生きているということだ。

ゆえに、あなたはいち早くいばらの道を出て、中道に帰らねばならない。

 

また、得意の時に謙虚であれ、感謝を忘れるな、と私は説いた。

そのことの意味が、あなたがたにはわかるだろうか。

謙虚さということは、何を意味しているか。

それは、他の多くの人びとの力を受けているということを、

また仏の力を受けているということを、

自らに言いきかすことを意味している。

自らに言いきかせ、

自らの慢心を防ぐということもって旨としている。

 

また、感謝とは何であるか。

謙虚さから生まれた行為だ。

謙虚であるからこそ、感謝が生まれる。

感謝が生まれて、

その謙虚さが他の人への行為となって現れてくるのだ。

これが実に大切なことであるのだ。

成功者たちが、成功者として存在が許される理由は、

他の多くの人びとへの愛の実践が、そこにあるからなのだ。

 

そう、自らの田畑に、数多くの実りをつくった者は、

人びとから妬まれたり、

あるいは謗られたりすることが多いであろうが、

自らの田畑に数多くの収穫を得ても、

他の人びとから喜ばれる道はある。

 

それは、自らが取り入れた、

自らが刈り入れた数多くの果物、数多くの稲の穂を、数多くの麦を、

まわりの人びとに配って歩くことだ。

さすれば、あなたは存在の愛となる。

さすれば、あなたは存在そのものが善となる。存在の善となる。

その通り、ここにこそ成功の要諦はある。

 

成功したものを、自らのみのために使おうとする時、

そこに大きな間違いがある。

しかし、成功の成果を、他の多くの人たちのために生かそうとする時、

それは、世の中を潤し、

そして、多くの人びとの魂を喜ばすこととなるのだ。

(仏法真理)

 

---owari---

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