明暦の大火を契機に出現した料理店は、1700年代に入ると次第に高級化していった。文化・文政の時代には山海の珍味をそろえ、食器、家具、座敷、庭園などに趣向を凝らす料亭も出現した。また、同時に、各種の大衆的料理屋も急速に増えていったのです。
このように、江戸に多数の料理店が出現したのは、江戸の町が高度な消費社会を形成していた証しでもあるが、同時に、食材の供給量が抜群だったことも示している。 . . . 本文を読む
江戸は世界的に見て最も早く外食文化が発達した都市だった。
フランスにレストランが出現したのは1765年です。フランス大革命の影響で職を失った王宮のコックが、町に店を開いたのが始まりでした。イギリスではさらに60年遅れて1827年が最初だったという。
それに対し、江戸の料理店の登場は、ヨーロッパよりも100年以上早い、1657年(明暦3年)のことで、きっかけは、その年の1月18日から19日にかけて起きた明暦の大火。 . . . 本文を読む
化石は、大洪水のような激変的過程がないと決してできないのです。動植物が、崩壊しないように素早く葬られ、空気とバクテリヤから遮断され、高圧力下に置かれなければ化石はできない。
もし、ゆっくり土砂が堆積していったのだとすると、生物は化石になる前に腐敗し、分解されてしまい、骨格をとどめることができない。即ち「風化」してしまうのです。
今日世界各地で発見されている化石の . . . 本文を読む
日本3大祭りの1つである京都祇園祭りは、およそ1100年前、疫病を鎮めるために始まりましたが、「ノアの大洪水」と大いに関係する行事であることをご存知でしょうか?
祇園祭りの山鉾の彫刻やタペストリーの絵柄には波や鳥のデザインが多い。それは「ノアの箱舟」から鳩を放った際に、オリーブの若葉をくわえて舞い戻ってきたときに、水が引いたことを知ったという旧約聖書の記述と関係しています。
実際に山鉾のタペストリーには旧約聖書の一場面をとらえた絵柄が多く描かれています。 . . . 本文を読む
日本の川の水は山から海へ一気にかけ下る。世界の代表的な河川と比べると、日本の河川が急勾配なのが良くわかる。
日本の河川は川の長さが短く、上流から下流への勾配が急であるため、一気に海へ流れるのが特徴です。このため、いったん雨が降ると、急に増水し短時間のうちに洪水のピークになります。
日本の年間降雨量は世界平均の約2倍と多く、しかも、梅雨期・台風期に集中して降ります。その結果、川の水量は、例えば利根川では、洪水のときの流量は平常時の流量の何と100倍にもなります。
海外では、ドナウ川は4倍、ミシシッピー川は3倍であり、日本の河川は、瞬時に大洪水となって流下し、瞬時に減少する特徴があるのです。 . . . 本文を読む