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江戸の大火が欧州より百年も早く“レストラン”を作った(後編)

2016年09月09日 | 日本

明暦の大火を契機に出現した料理店は、1700年代に入ると次第に高級化していった。文化・文政の時代には山海の珍味をそろえ、食器、家具、座敷、庭園などに趣向を凝らす料亭も出現した。また、同時に、各種の大衆的料理屋も急速に増えていったのです。

 

このように、江戸に多数の料理店が出現したのは、江戸の町が高度な消費社会を形成していた証しでもあるが、同時に、食材の供給量が抜群だったことも示している。

 

特に、「江戸前」と呼ばれる江戸湾(東京湾)は日本で最も豊富な海産物に恵まれていた。寿司,天ぷら、蒲焼、貝鍋、佃煮など江戸前料理は海産物が主流。この豊饒な浅海である江戸湾抜きに、江戸の食文化は語れない。

 

そして、豊かな海産物と高度な消費社会を背景に、江戸の町に多数の料理店が軒を並べるようになったのです。それにつれて、評判の店が続々と登場、寿司ならここ、ソバならあそこと、町人たちの話題の対象にもなっていました。

 

そこで出てきたのが料理店のガイドブックです。最も古い料理店ガイドは、1777年に刊行された三都の名物評判記『富貴地座居(ふうきじざい)』。

 

この『富貴地座居』の「江戸の料理屋」の項に、二軒茶屋(深川)、あまんずし(中ばし)、衣屋しじみ汁(亀戸)、田子屋田楽(洲崎)、そば切とうふ(木挽町)、金竜山奈良茶(浅草)、深川ずし(深川)・・・・・など、31軒の店が紹介されている。

 

これが、世界で最初の料理店ガイドブックです。

以降、江戸では各種の飲食ガイド本が頻繁に刊行された。幕末近くになると、料理店ガイドは庶民に欠かせないものになっていた。1827年には美味しくて、安くて、分量の多い店を紹介した『安売番付』なども刊行されている。

 

さらに1848年の『江戸名所酒飯手引』には、蒲焼90軒、どじょう12軒、寿司97軒、ソバ120軒など合計595軒の飲食店が取り上げられ、料理ガイドも時代とともに本格的になっていったのです。

 

ちなみに、フランスで刊行された星印のランク付けで有名な『ミシュラン』は、世界的に知られた料理店ガイドだが、初版は1900年のこと。江戸の料理店ガイドは、その120年以上前から各種刊行され、江戸庶民の食文化に貢献していたのです。

 

改めて、江戸は世界的な大都市であり、食文化も世界一であったことが分かるのです。

 

---owari---

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1 コメント

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はじめまして (このゆびと~まれ!です)
2016-09-09 18:26:30
十和田自然農園さんへ

読者ご登録、有難うございました。
取り止めのないテーマばかりですが、よろしくお願い致します。

十和田自然農園さんのグログは狩猟・ハンティングに社交ダンスと幅広くご活躍ですね。

私も岩手に住んでいましたので、十和田湖の美しさはよく知っております。

これからは十和田自然農園さんのグログも読ませて頂きますので、よろしくお願い致します。
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