(元軍、再襲来)元は1279年に南宋を滅ぼすと、80年には日本遠征のための征収日本行中書省を設け、81(弘安4)年、第2次遠征軍が出発した。高麗を出発した東路軍は、蒙古、高麗、漢人の連合軍で兵数4万、船900艘。南中国から出発した江南軍は、宋人中心に10万、3500艘。東路軍は5月21日に対馬、26日に壱岐を襲い、6月6日に博多湾に姿を現した。しかし、元軍は博多湾沿岸に延々20キロも築かれた石築地 . . . 本文を読む
蒙古の大軍から国土を守ったのは、子々孫々のためには命を惜しまない鎌倉武士たちだった。(フビライからの手紙)1268年正月、蒙古帝国第5代皇帝フビライからの手紙が朝鮮半島の高麗からの使者によって、日本にもたらされた。ねがわくば、今より以後、通商して好(よしみ)をむすび、もって相親睦しようではないか。なお、聖人は四海を家となすものであるが、日本が蒙古に通好しないならば、それは一家のうちではないというこ . . . 本文を読む
我が国はいつ、どのように建国されたのか?(神武即位は西暦181年)神武即位が181年という仮説が、他の史実や文献と矛盾が生じないか、八木氏は子細に検討する。まず、この時代には、朝鮮半島には楽浪郡や帯方郡といった中国側の出先機関が設けられていた。朝鮮半島でのいわば植民地統轄拠点だが、倭国に関する情報は郡庁で整理されて、首都・洛陽に送られていたとみられる。倭国に神武東征のような大きな戦乱があれば、その . . . 本文を読む
我が国はいつ、どのように建国されたのか?(日本の建国は、いつ誰によって行われたのか)もうすぐ建国記念日。皇紀2665年、と言っても、知らない人が多いだろうが、紀元前660年元日の初代・神武天皇即位から、この2月11日で2665年目となるという事である。そんな事を言うと、すぐに紀元前660年などというのは、皇室の歴史を引き延ばして政治宣伝をした古事記・日本書紀によるもので、嘘っぱちに決まっている、と . . . 本文を読む
聖徳太子が隋の皇帝にあてた手紙から、子供たちは何を感じ取ったのか?(<皇帝>と<天皇>)これに続けて、齋藤先生は次のように黒板に書いた。”東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す”今度はすぐに読み方を教え、全員で斉読する。「ヒガシのテンノウ、つつしみて、ニシのコウテイにもうす」これは、その翌年に、再び隋の皇帝に送った国書の書き出しです。東の国日本の天皇が、 . . . 本文を読む