聖徳太子が隋の皇帝にあてた手紙から、子供たちは何を感じ取ったのか?
(<皇帝>と<天皇>)
これに続けて、齋藤先生は次のように黒板に書いた。
”東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す”
今度はすぐに読み方を教え、全員で斉読する。
「ヒガシのテンノウ、つつしみて、ニシのコウテイにもうす」
これは、その翌年に、再び隋の皇帝に送った国書の書き出しです。
東の国日本の天皇が、西の国隋の皇帝に心をこめて申し上げる、という意味です。
聖徳太子は、このときも中国の冊封体制からはずれて独立する、中国と日本を対等な関係にするという大方針を変えませんでした。それがわかる言葉はどれでしょう。
「<皇帝>と<天皇>だと思います」とすぐに一人の生徒が答えた。
その通りです。<皇>という字は中国の<皇帝>だけが使える特別な文字でした。だから、子分の国の王様には<王>という字を使わせていたのです。ところが、この手紙で日本の王は<天皇>ですよと言ったわけです。「これからは日本も<皇>の字を使います」という事です。
天皇には北極星という意味があるそうです。天の星はすべて北極星の周りを回りますね。国のまとまりの中心という感じがよく表れている言葉です。
中国の皇帝はまた怒ったでしょうが、実際はどうだったか、記録はありません。しかし、この後も遣隋使は続けられたので、隋は<天皇>という言葉を受け入れたことがわかります。この国書によって、日本の自立は完成したと見てよいでしょう。
聖徳太子は、見事に「中国から進んだ文化を学ぶ」「国としては自立し、中国と対等につきあう」という二つのねらいを実現したのです。
(子供たちの感想)
この授業のあとで、子供たちは次のような感想文を書いた。
聖徳太子がいなかったら、もしかしたら今でも日本は中国の家来になってしまっていたのかなと思った。国の大きさや力はちがっても、同じ国々なのだから、対等につきあうのがよいと思った。
聖徳太子の方針はすごくいいと思った。「自分の国は自分の足で立つ!」「今までのような日本ではだめだ」。そう気づいたのだと思う。今こうして「日本」という国が独立してやっていけるのも聖徳太子のおかげだと思った。
聖徳太子の隋と大和(日本)が平等につきあえる国にするという考えは、ふつうの人は思いつかない。私なら、自立したらもうつきあいはないと思ってしまうが、独立はつきあいがなくなるわけではない。現在の日本と中国も昔を見習ってほしいと思った。
隋に、日本も隋も平等だという手紙を出した聖徳太子の勇気に感動しました。隋の皇帝に怒られたりどなられたりしたのを耐えた小野妹子も、すごい根性だなと感心しました。
ぼくはみんなと少しちがって、わざと隋の皇帝を怒らすなんて「何やってるんだよ」と思っていた。自分が聖徳太子だったとしても、こんな危険な賭けはやらなかったと思った。
ぼくも日本を独立させたいと思うのはいっしょだけど、もっとちがうやり方を考えたと思う。ただ、聖徳太子が国づくりの天才だということはまちがいない。日本の国に誇りを持っているのだと思う。
(今の日本に欠けているものを教える歴史授業)
生徒たちは、この授業から実に多くの事を受け止めている。国家の独立と対等な外交を求める気概、時には相手を怒らしても主張を貫徹する交渉力、そしてその根底にある自国への誇り。今の日本に欠けているものばかりである。
こうしたことが抽象論でなく、具体的な事件を通して学べる点が、わが国の歴史の豊かさなのである。その豊かな地下水脈から先祖の思いや考えを引き出して、子供たちの素直な感性に注ぎ込み、そこから瑞々しい感動を呼び起こす齋藤先生の授業方法には感嘆の念を禁じ得ない。
齋藤先生の「学校で学びたい歴史」には、さらにキリシタン問題、廃藩置県、東京裁判などを通じて、我らの父祖がどのような思いと考えで、それぞれの困難な時代を生き抜いてきたのか、を生徒に考えさせる授業が紹介されている。
こういう授業で育った子供たちが大人になったら、まさに「国際派日本人」としてわが国の未来を開き、国際社会で立派に活躍してくれるだろう。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
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