四日市に行ったのは、諏訪神社にお参りに行くことも目的のひとつでした。
周囲は随分と変わりましたが、お諏訪さんだけはそのままで安心しました。
なお、諏訪大社の歴史について、諏訪にルーツを持つHMさんが検索して教えてくれました。
「お諏訪さま」として全国に知られる諏訪大杜。諏訪湖を挟み南側の守屋山ろくに上社、北側に下社がある。上社は本宮(諏訪市神宮寺)、前宮(茅野市安国寺)、下社は秋宮(下諏訪町上久保)、春宮(同町大門)に分かれている。楽神は建御名方神(たけみながたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)。「官幣大社諏訪神社」が終戦後の148(昭和23)年に諏訪大杜と改称した。
古くから朝廷の崇敬が厚く、691(朱鳥5)年には持統天皇が勅使を派逢し、国家安泰や五穀豊じょうを祈願したという。「諏訪大明神面詞」には、征夷大将軍坂上田村麻呂が801(延暦20)年、東征の途中に諏訪神社に立ち寄って東夷平定を祈願したことが記されている。
平安時代には「信濃国一之宮」として広く知られるようになった。鎌倉時代には「日本第一大軍神」として多くの武将の崇敬を集めた。その後も足利尊氏、武田信玄、代々の徳川幕府将軍の崇拝を受けた。明治維新後に国幣中社、1916(大正5)年に官幣大杜となった。
武将の信仰のほか、農耕などの守り神、風や雨など自然現象をつかさどる神として、庶民の間にも信仰が広がった。全国の諏訪神社・摂末社の数は一万を超えるという。この中には「おくんち」で知られる長崎諏訪神社、「鯨船神事」の三重諏訪神社もある。←四日市の諏訪神社のことならむ。
HMさん有難うございました。またよろしくー、とかしこみかしこももまおす。