大阪府泉南市にある梶本邸の藤の花だそうです。息を呑むほど素晴らしいですね。
京都の友人TFさんからの投稿(撮影者は岸和田在住でTF氏のご友人だそうです)を転載させて頂きました。
TFさん投稿有難うございました。岸和田在住のご友人に宜しくお伝え下さい。
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なお、この投稿を頂いた後、ネットで検索しましたところ、超有名な藤の花スポットだと分かりました。
ネットから拾った画像を以下に追加させて頂きました。
泉南市長のメッセージもありました こちらをクリック"> 下さい
京都の名刹 乙訓寺の牡丹 今真っ盛りだよ~ と京都の旧友TFさんから
画像付きメールを頂きました。 早速、ブログに拝借しました
画像紹介の前に、乙訓寺について、HP(こちらをクリック)から拾い、少し解説させて頂きます。
真言宗豊山派 大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)
住所 京都府長岡京市今里三丁目14-7 拝観時間 午前8時~午後5時
入山料 *平成21年1月1日より改訂 大人(高校生以上)500円 小人(中学生以下)無料
乙訓寺縁起
この地は二千年前の弥生時代から多くの人が住んでいた この景勝の地に聖徳太子は十一面観世音菩薩を本尊とする
伽藍を建立させた この寺が即ち乙訓寺である
桓武天皇は延暦三年(784年)に長丘に遷都されたとき京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築された
この東寺の境域は、南北百間以上もあり建てられた講堂は九間に四間の大建築で難波京の大安殿と同じ規模のもので
あった 翌四年 藤原種継が春宮房の人々により暗殺されるや天皇は皇太子早良親王を当寺に幽閉された
嵯峨天皇は弘仁二年(811年)十一月九日太政官符をもって弘法大師を別当にされた 大師の残されたご事跡も多く
八幡明神の霊告をうけて合体の像を造り、また毘沙門天像を刻んでは国家の豊楽を祈られ あるいは境内に実る柑子を
朝廷に献上され また伝教大師と法論をかわされている 講堂や大師のご起居されたと考えられる単独僧坊跡が発掘
調査され出土がわら等により 平安期に隆盛を極めていたことがわかっている
永禄年間(1558~1569年)信長の兵火により一時衰微したが 元禄六年(1693年)五代将軍綱吉は、堂宇を再建して
乙訓寺法度をつくり寺領を寄せ徳川家の祈願寺とせらる
草創から一千三百有余年 時に盛衰はあったが 祈願寺として今日に及んでいる
四月下旬から五月上旬にかけて牡丹が花ひらき これに前後してつつじなども咲き陽春は花の寺と化する
以下は投稿頂いた牡丹画像です。
なお、実際の撮影者は、TFさんのご子息でカメラを趣味とするTomo//Fさんだそうです。
見事なショット有難うございました。
少し前になるが中学時代の旧友達と会合。
茶道の先生をやっているKOさんにお茶の作法を教わった。
お菓子を頂いた後でお抹茶を頂くのが正式な順序らしい。
結構なお手前でした。 ご再服をお願いし忘れました。
2日ほど前になりますが、親しくさせて頂いているご近所のお庭に咲く牡丹を撮らせて頂きました。
牡丹を撮影後、美味しいコーヒーもご馳走になりました。 TIさん 有難うございました。