久しくランニングから遠ざかっていた私ですが・・・(って別に故障や病気してたワケじゃありません。ほら、なんとなくモチベーション下がる時ってあるでしょ?特に私の場合、へそがナナメ45度を向いているから、世の中がランニングブームになるとモチベーション下がるみたいだけど。2014年は、そんな周りに左右されずにランニングライフを楽しみたいナ。)
元旦は初詣・・・初詣と言えば、やっぱりランでしょ。ってワケで、一人で走って往復15km以上20km未満(なんてアバウトなんや!)の道のりを海を見ながら、那覇空港に降り立つ飛行機を見ながら走ってきました。
せめて元旦なのだから、ココロを無にして走ろう~そう思い、幸い、この日は海を眺めるコースも人通りが少なくて無の心境になるには、もってこい、の環境でした。
ひたすら、無・無・無・・・けれど、やっぱり帰り道は邪念が湧いて・・・特にこの日は、久々の快晴~、早くおうちに帰ってビールを飲みたい欲求に駆られてしまいました。
ところで、この日お参りした神社(写真は、神社とは関係ありません。イメージです(笑))、白銀堂という名の神社なんですが、う~むという言い伝えがあります。
その昔、この一帯は海のすぐそばでした。今は、かなり埋立られているけれど、今でも糸満漁港の小路を入ってすぐのバス道路沿いにいあります。
糸満は海人(うみんちゅ)、つまり漁師の街です。昔、ここの漁師の一人が漁に出て沖合で船が難破し、命からがら岸まで泳いで帰ってきたところ、命は助かったものの、漁具一式をすべて失い、漁に出ることができなくなりました。それを見た薩摩の役人の一人が、哀れに思い、彼にお金を貸しました。一年後に返してくれればよい、ということで。
ですが、翌年も天候不良で思うように漁ができず、結局、お金を返すことができませんでした。さらに、その翌年も・・・訪ねてきた薩摩の役人は、「きさま、なめとるんか!」と怒りもあらわに刀に手をかけました。
その時、漁師は、こう懇願しました。「ま、待ってください。私たちの祖先からの古くからの言い伝えには、怒りに身を任せてはいけない。そのような時こそ、落ち着いて気を鎮めないといけない。という教えがあります。どうか、どうかご勘弁を・・・」
薩摩の役人は、「ち、しょうがない奴だ。今回限りだぞ。」と言い残して薩摩に帰っていきました。久しぶりの我が家、入り口を開けると・・・そこには男物の草履がありました。胸中穏やかならぬ状態で部屋のふすまを開けると、なんとそこには、妻と添い寝をしている男がいるではありませんか?」
怒り狂った薩摩の役人は、思わず刀に手をかけ、振り下ろそうとした、その瞬間、実は男だと思っていたのは、自分の母でした。自分の留守中、妻に危険が及ばないよう、こうして男装し、妻のもとにいたのでありました。
翌年、約束の期限がきました。糸満を訪れると、漁師が嬉々として薩摩の役人を迎え入れました。「ようやく、あなた様にお返しするお金が用意できました。どうも、大変長らくお待たせしました。」と、借りたお金を役人に差し出しました。
すると、役人は、こう言いました。「いいや、ならぬ。私は、そなたの金を受け取ってはならぬのじゃ。なぜなら、そなたは私の命の恩人だからだ。」
そんなこんなで結局、用意した金を薩摩の役人は受け取らずに帰っていきました。困り果てた漁師は、地元の人々の航海安全を祈願し、近くの洞窟にそのお金を埋めました。
これが、白銀堂の始まりです。
航海安全のみならず、怒りを鎮める・・・ということで、まさに私がお参りするにふさわしい社だと思いました。
元旦は初詣・・・初詣と言えば、やっぱりランでしょ。ってワケで、一人で走って往復15km以上20km未満(なんてアバウトなんや!)の道のりを海を見ながら、那覇空港に降り立つ飛行機を見ながら走ってきました。
せめて元旦なのだから、ココロを無にして走ろう~そう思い、幸い、この日は海を眺めるコースも人通りが少なくて無の心境になるには、もってこい、の環境でした。
ひたすら、無・無・無・・・けれど、やっぱり帰り道は邪念が湧いて・・・特にこの日は、久々の快晴~、早くおうちに帰ってビールを飲みたい欲求に駆られてしまいました。
ところで、この日お参りした神社(写真は、神社とは関係ありません。イメージです(笑))、白銀堂という名の神社なんですが、う~むという言い伝えがあります。
その昔、この一帯は海のすぐそばでした。今は、かなり埋立られているけれど、今でも糸満漁港の小路を入ってすぐのバス道路沿いにいあります。
糸満は海人(うみんちゅ)、つまり漁師の街です。昔、ここの漁師の一人が漁に出て沖合で船が難破し、命からがら岸まで泳いで帰ってきたところ、命は助かったものの、漁具一式をすべて失い、漁に出ることができなくなりました。それを見た薩摩の役人の一人が、哀れに思い、彼にお金を貸しました。一年後に返してくれればよい、ということで。
ですが、翌年も天候不良で思うように漁ができず、結局、お金を返すことができませんでした。さらに、その翌年も・・・訪ねてきた薩摩の役人は、「きさま、なめとるんか!」と怒りもあらわに刀に手をかけました。
その時、漁師は、こう懇願しました。「ま、待ってください。私たちの祖先からの古くからの言い伝えには、怒りに身を任せてはいけない。そのような時こそ、落ち着いて気を鎮めないといけない。という教えがあります。どうか、どうかご勘弁を・・・」
薩摩の役人は、「ち、しょうがない奴だ。今回限りだぞ。」と言い残して薩摩に帰っていきました。久しぶりの我が家、入り口を開けると・・・そこには男物の草履がありました。胸中穏やかならぬ状態で部屋のふすまを開けると、なんとそこには、妻と添い寝をしている男がいるではありませんか?」
怒り狂った薩摩の役人は、思わず刀に手をかけ、振り下ろそうとした、その瞬間、実は男だと思っていたのは、自分の母でした。自分の留守中、妻に危険が及ばないよう、こうして男装し、妻のもとにいたのでありました。
翌年、約束の期限がきました。糸満を訪れると、漁師が嬉々として薩摩の役人を迎え入れました。「ようやく、あなた様にお返しするお金が用意できました。どうも、大変長らくお待たせしました。」と、借りたお金を役人に差し出しました。
すると、役人は、こう言いました。「いいや、ならぬ。私は、そなたの金を受け取ってはならぬのじゃ。なぜなら、そなたは私の命の恩人だからだ。」
そんなこんなで結局、用意した金を薩摩の役人は受け取らずに帰っていきました。困り果てた漁師は、地元の人々の航海安全を祈願し、近くの洞窟にそのお金を埋めました。
これが、白銀堂の始まりです。
航海安全のみならず、怒りを鎮める・・・ということで、まさに私がお参りするにふさわしい社だと思いました。