ついに、念願のハンタ道に行ってきました~
ハンタとは、端の意味・・・つまり、端っこにある道
その名の通り、沖縄本島中部の中城村は、本島の背骨部分に当たるところ。だから、海沿いの国道からぐ~んと坂を上って、山でいうと尾根沿いに昔の道が伸びている。これが、中城城まで続く歴史の道「中頭方東海道」である。
まず、起点は、サンエーという地元の大型スーパー、ここにクルマをとめようと迷ったが、結局、買い物せずにクルマだけ止めるのは申し訳ないという良心が働き、海沿いの吉野浦公園へパーキング。
そこからサンエーの目の前の歩道橋を目指すのだが、ここまで行くのが大変・・クルマも1、2速で登るような急坂をこの日も快晴の空の下、汗をだらだらしながら一気に上る。
ようやく、歩道橋に着き、案内説明板を読む。ここから少しだけラバーが施された道が続き、この日も何人かのランナーとすれ違った。
しかし・・・眺めが良い。中城湾が一望できる。そして、この辺一帯は、なかなか瀟洒な一軒家が立ち並ぶ。こんなところに住みたいナ・・・土地、余ってるよ(笑)
とりあえず、現実に戻って、歴史の道を中城城目指して進む・・・
ラバーは途切れ、急に道が狭くなる。でも、しっかり石畳状に整備されている。実は、昔の道が、ここにあった、というだけで、現存する史跡は少ない。当時の石畳は沖縄戦で喪失したからだ。
反面、あまりに整備されすぎ、途中途中は石段になっていたりして、なんだか公園内を散歩しているようで面白味に欠けるが、台風や塩害、そして高温多湿による草木の成長の度合いを考慮すれば、自然の状態で残しておくには、瞬く間に草木で覆い尽くされてしまうのだろう。
県消防学校を横目に途中で集落に入り、また、昔の集落の跡地を通る。ここに集落があったという看板だけで、現在は跡形もない。
そして、ペリーの帆立岩・・・その昔、ペリーが黒船で琉球にやってきて、実際に星条旗を立てたという岩の挿絵があるが、これも現在では、挿絵の面影もない・・・
さらに進むと、ゴールの中城城手前の廃墟のホテル・・・かなり敷地面積の大きいホテルである。
帰りは来た道を戻ったが、やっぱり廃墟ホテルの前は気持ち悪い・・・
距離的に片道数キロだが、途中、こまめな石段が施され、実際には走り歩きで片道1時間かかる。
この日は初めてだったので説明板や景色を堪能したため、再び公園の駐車場に戻ってきたのは3時間後だった。
けれど、良い運動になった。
ハンタとは、端の意味・・・つまり、端っこにある道
その名の通り、沖縄本島中部の中城村は、本島の背骨部分に当たるところ。だから、海沿いの国道からぐ~んと坂を上って、山でいうと尾根沿いに昔の道が伸びている。これが、中城城まで続く歴史の道「中頭方東海道」である。
まず、起点は、サンエーという地元の大型スーパー、ここにクルマをとめようと迷ったが、結局、買い物せずにクルマだけ止めるのは申し訳ないという良心が働き、海沿いの吉野浦公園へパーキング。
そこからサンエーの目の前の歩道橋を目指すのだが、ここまで行くのが大変・・クルマも1、2速で登るような急坂をこの日も快晴の空の下、汗をだらだらしながら一気に上る。
ようやく、歩道橋に着き、案内説明板を読む。ここから少しだけラバーが施された道が続き、この日も何人かのランナーとすれ違った。
しかし・・・眺めが良い。中城湾が一望できる。そして、この辺一帯は、なかなか瀟洒な一軒家が立ち並ぶ。こんなところに住みたいナ・・・土地、余ってるよ(笑)
とりあえず、現実に戻って、歴史の道を中城城目指して進む・・・
ラバーは途切れ、急に道が狭くなる。でも、しっかり石畳状に整備されている。実は、昔の道が、ここにあった、というだけで、現存する史跡は少ない。当時の石畳は沖縄戦で喪失したからだ。
反面、あまりに整備されすぎ、途中途中は石段になっていたりして、なんだか公園内を散歩しているようで面白味に欠けるが、台風や塩害、そして高温多湿による草木の成長の度合いを考慮すれば、自然の状態で残しておくには、瞬く間に草木で覆い尽くされてしまうのだろう。
県消防学校を横目に途中で集落に入り、また、昔の集落の跡地を通る。ここに集落があったという看板だけで、現在は跡形もない。
そして、ペリーの帆立岩・・・その昔、ペリーが黒船で琉球にやってきて、実際に星条旗を立てたという岩の挿絵があるが、これも現在では、挿絵の面影もない・・・
さらに進むと、ゴールの中城城手前の廃墟のホテル・・・かなり敷地面積の大きいホテルである。
帰りは来た道を戻ったが、やっぱり廃墟ホテルの前は気持ち悪い・・・
距離的に片道数キロだが、途中、こまめな石段が施され、実際には走り歩きで片道1時間かかる。
この日は初めてだったので説明板や景色を堪能したため、再び公園の駐車場に戻ってきたのは3時間後だった。
けれど、良い運動になった。