へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

トランスエゾ番外編 ① 「装備について」

2016-09-09 08:22:35 | 旅とランニング
 先日、連載を終えたが、お読みいただいた方々からは、「楽しかった。終わってしまうのが残念・・・」といったお声をいただきました。ありがとうございます。でも、一番、残念がっているのは実は本人かもしれません(笑)

 ってワケで、本日は、この2週間を振り返って「よくある質問」ではないですが、これからトランスエゾを走ろうと思っている人?のために、いやいや、そんなコトしないけど(笑)、いろいろ聞いてみたいコトがあったんだ・・・といった方々のために、ちょっとだけお伝えしようと思います。

<荷物はどうするの?>
 いろんな大会がありますが、超長距離ともなると少なくとも1週間以上かけて行動するわけですから、当然、着替えも必要ですし、その他雑多な日用品も必要になってくるわけです。大会によっては、一人に一台、サポートカーが付く、なんてものもありますし、スタッフが完全に余分な荷物を預かってくれるので、ランナーは走るのに必要な最低限の荷物だけ背負って走ればいい・・・という大会もあります。

 が、トランスエゾは自分の荷物はすべて自分で背負って走ります。2週間の大会なら2週間分の荷物・・・!

 おっと、それでは走れませんね。(笑)ですから、荷物も極力、コンパクトに。例えば、着替えは今着て走っている以外に1セットだけ。それがその日ゴールしてからの着るものになり、翌日のランニングウェアになります。あとは、懐中電灯、ワセリン代わりのメンソレータム、ポケットティッシュ(実は意外と使わなかった。今どきはコンビニがあるし、トイレットペーパーのある公衆トイレも増えてきました。)大雨時の雨よけとしてつばの大きめの帽子、防寒ウェアとして長袖の雨衣(上のみ)、長スパッツ、炎天下での塩分補給用に「炎熱サプリ」、そして財布・・・といったモノがリュックの中に入っています。

 リュックはアウトドアメーカーのモンベル社製、男性用ですが、女性用より少し大きめです。私は肩幅が広いので男性用で問題なし。

 荷物をコンパクトにするためにも工夫が必要です。雨対策としてすべてジップロックに入れますが、特に衣類は丸めたり折りたたんだりして入れ、最後に完全に中の空気を抜いて「真空パック」状態にします。これだけで相当軽くなります。

 軽くする、という点でいうと、地図です。たかだか紙切れ、と侮るなかれ。
 大会中の地図は翌日分が前日のミーティング時に配られます。ですが、走り終わった分の地図はためておくとどんどんたまり、邪魔になります。ですから、自宅宛て郵便物として発送します。ほとんどの人は、82円切手を貼った封筒を準備し、終わった地図を入れて翌日、スタートして最初のポストに投函していましたが、私はその場で地図の1枚を使って簡易封筒を作り(定形外になるので92円ですが)、コンビニで買い物した際、合わせて切手を買って投函していました。暑い日は、わざとコース途中の郵便局に立ち寄りました。意外とコンビニより公共的な場所の方が涼しいんですよ。

 リュック以外で私が腰回りに付けているのが、ウエストポーチ。途中でいい景色に出会って写真を撮りたい時、すぐに取り出せるよう、スマホを入れています。その他、必要な時、すぐに取り出したいものをウェストポーチの横に付けました。これがなかなかの優れものでして・・・

 モンベルショップで購入したクライミング用のポーチなんです。実際は、ロッククライマーが岩を掴む時、指先が滑らないよう、滑り止め用の粉を入れるためのモノなんですが、がま口のような口が上に向けてついているので、取り出したいものがすぐに取り出せるし、円筒形のカタチは意外とモノが入ります。私は、この中にチェック用のボールペンや非常食用のゼリー、おにぎりといったモノを入れていました。ゼリー3コとおにぎり1コくらいはかるく入ります。

 そうそう、北海道の自販機の9割以上はゴミ箱がありません。(たぶん、大雪対策?)だから、次のコンビニまでゴミは持って走らないといけない。そんな時、ゴミも買い物用のビニル袋にまとめてこの円筒形の中に入れていました。

 時間短縮のためにも、頻繁に取り出すモノをリュックに入れておくといちいちリュックを下ろさないといけません。そのために立ち止まる時間も惜しい・・・だから、腰回りに頻繁に取り出すモノをぶら下げておくと便利です。

 すぐに取り出す必要のあるモノとして、ほかにはドリンクがありますが、これはモンベル製のリュックの左右にドリンクホルダーが付いているので、同じくドリンクホルダーの付いているウェストポーチと合わせると3本のドリンクが常備できます。最も、3本持って走るのは相当重いですけどね・・・炎天下の際は3本持って走ります。

 靴は結局3足使いました。(最後に買った3足目は未だに健在!)基本、4日と半日しか持ちません・・・

 来年は、途中2か所の宿に靴を送っておこうと思います。

 靴下は、厚手のモノがおすすめです。スポーツ店で売っているサポート機能が充実した靴下は、逆に足を締め付けることになるので超長距離には向きません。学生が履くような木綿の靴下が一番です!
 
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壁なんて存在しない ~ トランスエゾ走行記

2016-09-08 08:21:07 | 旅とランニング
Through all one's fortunes, I reached the goal.
I grew up through nature of Hokkaido and many participants.

I feel... The wall is nothing.
The wall is parsonal prodacts.
The wall is only delusion...

 とうとうこの日がやってきた。そう、14日目(後半戦7日目)、最終日・・・浜頓別から宗谷岬までの61km。オホーツク海を右手に見てひたすら北上を続ける。「日本最北端」を目指して・・・

 いつも以上に、スタートしてからみんなでかたまって歩く。みんなの思いはこの一週間、あるいは二週間を振り返っての思い出と、そして迎えるべく感動のゴール・・・というカタチで一つになっていた。

 そんな中、私は後方で一人で歩きながらこの二週間を振り返っていた。「今日で終わる・・・!」という思い以上に「終わりたくない」という気持ちが強く、このまま最後まで歩いていたかった。

 間もなくキングがやってきた。まだ工程の半分・・・ここで追いつかれるとは・・・前にいたかずちゃん&しんちゃんとキングと砂浜を歩く。そろそろ左に上がる頃だ。キングが、「ここで上がった方がいい。」と言うので従った。なにせ、彼は5連覇、覇者、つまり文字通り王者なのだから・・・

 しかし、上がったところは熊笹だらけ。でも、早く道に出たい我々は、やぶ越えした。短パンの脚が傷だらけになった。道に出た時はすっかり体力を消耗した。いらぬところで体力を使ってしまった(笑)

 いつまでも歩き続けていたいが、歩いていたら制限時間に間に合わない。国道に出た。そろそろ走る時だ。残り30km・・・

 猿払村営牧場の牛たちも元気だ。牛と遊んでいたいが、かまっている余裕は無い。今夜の宴会場所・道の駅を左に見ながら先を急ぐ。

 いくつかの集落を経て、やがて丘陵地帯になった。宗谷丘陵を上る時、後ろを振り返ってみる・・・残念ながら曇天のため、オホーツクブルーはのぞめなかった。

 丘陵を降りて平地を行き、やがて宗谷岬に出る最後の丘を越える・・・

 大丈夫、まだ時間は30分ある・・・

 走っていて、ふと思った。「壁」なんてものは、そもそも存在しないんじゃないか?と。

 2週間で私は1000km超走った。1000km走るとカラダはどうなるんだろう?って思ったけど、以外にどうにもならなかった(笑)

 いや、実際に2kg痩せた。カラダはシャープに、そして心は丸くなった。(逆は醜いね。)それは、北海道の大自然と、そして仲間たちとの交流が私を成長させてくれたからだ。本当にありがとう!

 そう、「壁」はもともと存在しないんだ。きっと。
 壁は、個人が勝手に作り上げたもので、我々はその産物によって時に怖気づいて前に進めなくなる。でも、勇気をもって一歩進み出れば、それは壁ではなくなる。そう、最初っから壁なんてものは無かったんだ。

 もうトシだから・・・なんて諦めるのはばかげている。80歳になってもエベレストに登る人もいるのだ。え?特別な人?いいや、彼だって大きな目標を立てえる前はメタボ老人だったんですよ。だから、壁なんて存在しないの。単に自分で作って、それにビビッているだけ。

 最北端の碑が見えて来た。そして、先にゴールしている仲間たちの姿も・・・

 ゆっくりと碑の周りを反時計回りに回ってアーチをくぐる・・・完走には至らなかったけど満足だった。

 やがて制限時間がやってきた。まだ、ゴールしていないメンバーがいる・・・キングが数名を引き連れて現れた。その中に最高齢のよりさんもいた。まるでわざとじらせているかのようだった。なんという演出!

 見ている者に感動を与えるゴールであった。

 猿払温泉に入り、そこの宴会場で生ビール、そして差し入れのワインをただく・・・見ると、今まで健常だった足がむくんでいた。もう走らなくていいよ、と脳から指令が行き、安心したのだろうか・・・

 送迎バスに乗って再び最北端の宿に着いた我々は、宿で2次会に。そうして尽きることのない思い出話は真夜中まで続いた・・・明日はもう早起きしなくていい、そう思うとそれだけが嬉しかった。(たぶん、カラダは勝手に起きるだろうけどね。)
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ハンガーノック状態に ~ トランスエゾ走行記

2016-09-07 08:09:46 | 旅とランニング
 13日目(後半戦6日目)、美深から浜頓別までの81km。天塩川に沿って北上を続け、途中、音威子府(おといねっぷ)の町を過ぎて天北峠を越え、中頓別を抜けて、いよいよオホーツク海に出る・・・

 すでにこの旅も残すところあと2日・・・直射日光で真っ黒になった一週間前が嘘のように、後半戦はスタートから曇り&雨・・・さらに北上するにしたがい、涼しさは増して(個人的には一週間前の太陽が恋しい・・・)、途中、出会う廃線跡や集落跡地でさらに寂寥感も増してくる・・・

 5年前、このコースを走った時、なんてステキなコースだろう・・・と思った。特に音威子府に行くまでの森林地帯はロビンフッドの森のようで私の空想力をかきたてた。

 だが、今、目の前に広がる森を見ると出てくるのはロビンフッドではなく、クマのように思えた。2回目ともなると、こうも感動が薄れるものなのか?

 美深温泉をスタートして、これといった町も無く、川沿いの砂利道を走り、線路を渡って国道に出る。国道から再び線路を渡ると咲来(さっくる)という町に出る。そこは5年前よりさらに寂寥感が漂っていた。まるでゴーストタウンだ・・・と言っては失礼だ。実際に住んでいる人がいるのだから。でも、本当に人の気配を感じさせない。かつて栄えていた頃の店の看板が逆に哀愁を感じさせた。

 咲来を過ぎて再び国道に出るとまもなく音威子府の町が出て来た。スタートして20kmを過ぎてようやくコンビニに出会った。でも、それはこの日最初で最後のコンビニだった。

 完走目的の人たちはコンビニに立ち寄るとさっさと行ってしまった。リタイア組はここをリタイアポイントに。コンビニから少し先にあるJR音威子府駅からは中頓別、浜頓別を経て宗谷岬へ行く路線バスがある。JRはそのまま内陸部を抜けて宗谷岬へ行ってしまうので間違えてJRに乗ってしまうと大変だ。

 私は最初で最後のコンビニでしっかりと腰を下ろして飲食した。そして新たに今日一日に必要な行動食を調達した。おにぎり3コにヨモギ団子・・・!
でも、結局、それらは途中で食べつくしてしまい、食糧が尽きてしまう・・・

 音威子府を過ぎ、天北峠を越えると集落が現れた。でも、自販機はあるが、食べ物を売っているような店は無い。そのまま国道を行けば道の駅があるのあが、正規ルートは非情にも右手の道道を入って行く・・・

 その手前に「岩手」という地区がある。おそらく岩手県からの入植者によって開拓されたのであろう。岩手特有の家屋が1軒、5年前よりさらに樹木に埋もれるようにして遠い過去を物語っていた。

 道道(北海道なので県道ではなく、道道です。)の両側はクマが出て来そうな森林以外何もない。昨日の長距離走行の疲れからか、だんだんと眠くなってきた。

 60km地点の牧場の無人エイドで冷たい水を飲んでいるとS井さんがやって来てさらにその後ろからA井さんも追いつき、3人でゴールを目指すかたちとなった。それにしても・・・3人共通の思いは・・・「空腹を満たすこと」であった。

 ゴール10kmちょっと手前にさしかかった時、S井さんが思わず叫んだ。「自販機だあ~!」

 自販機が、あった~!と自販機一つで喜ぶ姿を日常では想像できないだろうけど、それくらいこの日この時点での我々は飢えていた。

 自販機のその先に、なんと個人の商店があった。ちゃんと営業している商店だ。迷わず中に入る。菓子パン、そして私は桃を買ってほおばった。店の人が「何も無くてゴメンナサイね。」って言ってたけど、とにかく口に入れられるものがあっただけで何よりだ。

 桃の糖分が私を元気にしてくれた。(糖質オフ、なんてくそくらえだ。私には糖質が必要だ!)

 あとはひたすらゴールを目指して走る。時計を見るとあまり余裕が無かった。なぜか5年前より遅い。私も少し焦って来た。クッチャロ湖を左手にすると間もなくその先はゴールの浜頓別の町である。しかし、ゆるやかなカーブ続きの上りが長い。5年前は、もう少し明るかったゾ・・・

 ようやく、浜頓別の町の明かりが見えて来た。町の入口のコンビニに2人は立ち寄ったようだけど、私はわき目も降らず、ゴールの民宿目指した。ふと気づくと、どうやら町の中心部を通り超してしまい、その先の案内板が「クッチャロ湖」と出ていた。やばい、小さな町はどこが中心部かかわらない。制限時間まですでに20分を切っている・・・もはや地図と現地をじっくり見比べている余裕もなく、体育館のような施設の前でクルマから出て来た人を呼び止め、素直に旅館の場所を聞いた。やっぱり通り超していた(笑)

 残り10分前、かろうじてゴールした。腹が減った・・・!だが、5年前にあった宿の食堂は閉鎖されていた・・・シャワーを浴び、最後のミーティングを終えると私は一人、浜頓別の町へ出た。

 ここ2~3日の雨で両足の指の付け根が痛んだ。足を引きずって旅館から数件先の2階にある居酒屋へ行った。高齢の女性が一人でやっていた。他に客はいない。私は生ビールを注文し、枝豆とナスみそ炒めを頼んだ。すきっ腹にビールが染みた。一瞬、それだけでお腹がいっぱいになった気がした。

 お腹が落ち着いたころ、店の女性が「自転車で宗谷岬へ行くのかい?」って聞いてきたので「いいえ、走っているんです」とこれまでのルートの話をした。「この辺はクマが出るから気をつけたほうがいいよ。特に夜中になるとクマが降りて来て海の水を飲みに来るんだよ。クマだけじゃない、鹿も海の水を飲みに来るのさ。だから、みんな、夜は出歩かないようにしている。鹿ならいいけど、クマが車の前に出て来たら、おっかねえよ。」

 実際にクルマでクマに遭遇したその女性の話を聞いて思わず戦慄した。

 それにしても、クマが塩分補給とミネラル補給?のために海水を飲むとは・・・クマも栄養が必要なのは私と一緒だな・・・

 いよいよ明日は最終日・・・我々は長旅のゴール、最北端の宗谷岬を目指す。
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天塩川の夕日 ~ トランスエゾ走行記

2016-09-06 08:23:12 | 旅とランニング
 12日目(後半戦5日目)、旭川大学から美深温泉(例の温泉施設のある道の駅)までの98km。区間最長距離となるこの日は気合も入る。ただし、5年前は105kmだったから、なんだか得した気分?

 距離が長い分、走行時間も長い。この日は午前3時スタート。さすがに北海道でも3時は真っ暗。ついでにゴールも夕日が沈んで1.5時間から2時間後くらいになるから、懐中電灯は手放せない。

 旭川大学から比布(ぴっぷ)を経て和寒(わっさむ)へ。その間、クマさんの出そうな森林地帯を横目に峠を目指す。三浦綾子さんの小説「塩狩峠」の舞台の塩狩峠だ。実際に塩狩駅という駅もあって、その手前に石碑があった。小説のモデルとなった長野氏殉職の碑だ。旧国鉄の職員だった長野氏は、たまたま乗り合わせていた列車の最後尾車両の連結器が外れて暴走するのを目の当たりにし、身を挺して暴走を食い止め、その列車の下敷きになって殉職された。(ということを、先ほどネットで調べて知りました。走っている間は何かと余裕が無いものでして・・・)

 近くには三浦綾子記念館もあって、一度、ゆっくりと訪れたいポイントである。

 和寒から士別へ行く途中は、やたらとカーブの多い国道で変わり映えの無い景色・・・直線が続くと文句を言い、カーブでも文句を言う・・・おっと、宗谷岬で決めたマイルールの一つは「文句を言わない」だったでしょ??(笑)

 この日は多少日も差して暑く感じられた。ちょうど道端にアイスクリンが売っていたので、買って歩きながら食べた。やっぱり北海道のアイスは濃くておいしい~(自転車組は、木陰で休息ちう。)

 単調なルートが続く中、士別の町に入るとコンビニやら食べ物屋さんやらで、えらく「都会」に見えた。ふと、5年前のことを思い出す。今回のルートは5年前とほぼ同じルートだ。そうそう、道の駅の手前でエイドをしてくれた方がいたっけ・・・なんて思い出したら、ちょうどその方が対向車線から私を見つけてライトバンを止めた。その車と服装から、どうやらお仕事中のようであった。こうして、コース上にはトランスエゾを過去に走った人以外に、たまたまトランスエゾを走るランナーを見かけてエイドをしてくれる地元のランナーがいる。これも今回で20回目を迎えるトランスエゾの成果の一つだ。

 よく冷えたパック状のスポーツドリンクをいただいた。そして、道の駅・・・ありがたいことにビールも置いてある。サッポロクラシックの350ml缶と男爵コロッケを買って中のベンチに座って食べた。周りには自転車で旅をしている連中も座っていた。

 だんだんと北上するにつれ、クマの出そうな森林とサイクリストの姿が多くなってきた。

 でも、まだまだ半分近くの工程が残っている。先を急がねば・・・5年前、真っ暗な中、一人で制限時間を気にしながら進んだことを思い出す。

 名寄に入ると再び「・・・線・・・番」攻撃が始まった。名寄駐屯地を過ぎると峠になり、なぜかホッとした。5年前は、とってもキレイだったヒマワリ畑が台風の影響か?すべてなぎ倒された感があったのは残念だった。

 その代わり、天塩川の夕日がとてもキレイで感激した。何枚も撮ったが、スマホの映像を見ても実際と変わらぬほどキレイだった・・・

 ゴールの10km手前のコンビニで明日の朝食を買う。ついでに腹ごしらえも。残り10mとは言え、すでに辺りは暗くなり、これから先、1時間半はかかると予想される。そのためにも腹ごしらえは必要だ。

 街灯の少ない国道は対向車で照らされると足元が非常に見ずらい。いつも以上に進むのに時間がかかる。これといった目印もなく、経過する時間で距離を憶測する。(すぐ計測できるガーミンのようなものは私はあえて持たない。いつまでも自分の自然の感覚、野生の感覚を失いたくないから・・・)

 そうして、ようやく「道の駅2km」の看板が見えて来た。でも、その2kmが長く感じるのよね・・・いつも。

 施設の明かりを見てホッとする。それくらい、この1時間半は暗がりとの闘いだったのだ。ゴールのアーチを抜けると、なんと、瓶ビールのサプライズが・・・!簡易椅子に腰かけ飲むビールは最高にうまかった。長時間、暗がりと孤独に耐えた「勲章」「ご褒美」だ。

 名簿の横にゴール時間を記録する。見るとまだ頑張って走っているランナーが何人かいた。

 スタート直後、声をかけた最高齢のよりさんも頑張っていた。いつもカラダが左に傾きながら走っているよりさん・・・この日はなぜかまっすぐだった。「よりさん、今日はカラダ曲がってないですよ。」と私が言うと「旭川大学の武道場の畳の硬さが良かったんだよ。今日は完走できそうだ。」と答えてくれた。

 そのよりさんが、100km近いこの日の距離を見事、時間内に完走された。やっぱり仲間の成功はうれしい。ビールがさらにおいしく感じられた。
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私の「選択」 ~ トランスエゾ走行記

2016-09-05 08:30:20 | 旅とランニング
 11日目(後半戦4日目)、富良野から旭川大学までの67km。このコースは単に距離が短い?だけでなく、花でいっぱいの中富良野や、コレぞ北海道と思わせる(まるで絵葉書に出てきそうな)美瑛の丘といった、おそらくこの大会中もっとも美しい風景を楽しめる、ご褒美コースである。

 でも、それは晴れてこそ・・・なのだ。明け方、ものすごい勢いで雨が降っていた。そうそう、昨夜、雨で濡れたシューズに新聞紙を入れて、窓際に干していたんだっけ・・・見ると、ちゃんと取り込んであった。まみさんが取り込んでくれていた。

 この大会を走り始めて10日が経過、すでに2足目のシューズも左のかかとから激しく摩耗していた。そろそろ買い時か・・・昨日、お風呂に行った時、そこのスタッフにスポーツ店を尋ねたら、旅館の並びにあるそうだ。ただし、ミーティングが終わってからでは閉まっていると思い、諦めた。でも、そろそろヤバイ。すり減った靴をいつまでも履いておくと、例えば左のシューズだと右の腰が痛くなる。まみさんですら、最初の頃は、最後まで同じ靴でゴールしたら終わってから足底筋膜炎になったというから、油断できない。

 みんな、私を見かけると「靴、大丈夫?」と聞いてくる。まるで、それが朝の挨拶のように・・・少しは私の本体のことも心配してくれてもいいのに。でも、本体は頑丈に出来ているのか、心配ご無用だった。無精者の私にしては珍しく、足のマッサージを念入りに行っていたおかげで、浮腫みもなく、今のところ、普段と変わらぬ足の太さだ。(もともと、そんなに細い足ではないんで・・・)

 前にも書いたけど、雨は本当にキライだ。ちょっと気温が低くなると雨に濡れただけで、ものすごく寒く感じる。今日は距離が短い分、旭川大学に早く着くから、みんながお風呂に行っている間に旭川市街へ靴を買いに行こうかと思った。しかし、宿泊先となる旭川大学は市街地から離れている。スタート前、空模様を見ながらしばし考えた。そうして私がとった行動は・・・

 この日の楽しみは景色もさることながら、中間地点にある新田農場での過分なるおもてなしだ。過分なる、というのは決して大げさではない。スイカ、メロン、じゃがいも・・・といった具合に、豊富な食べ物が私たちの前に並べられていた5年前を思い出す・・・

 でも、私は地図を見て新田農場へは行かず、そのまま南下し、その先にある「美馬牛(びばうし)駅」を目指していた。トイレで着替えを済ませると間もなく無人駅に旭川行きの電車が入線した。1時間は待つ、と思っていただけにラッキー!

 乗って私はかろうじて座れるスペースに収まった。というのも、列車は大きなスーツケースを携えた中国人旅行客でいっぱいだったからだ。5年前では考えられない光景だった。

 暑かった先週からめっきり涼しくなり、もはや半そで短パンで歩くには寒すぎた。まずは、旭川駅で腹ごしらえ。ラーメンを食べてカラダを温める。なんて書いてるけど、自宅のある福岡では、連日37度のニュースが飛び込んでいた。ちょっぴり帰りたくない?気分・・・

 駅に隣接したショッピングモールにスポーツ館があったので、3足目の靴はそこで買った。ついでに靴下に穴があいたので靴下も買った。(アーチをサポートする、といううたい文句に誘われて買ったけど、最後は指の付け根が痛くなった。やっぱり超ウルトラには木綿の靴下が一番だ!)

 ついでに買った長袖のウエアに着替えると、ようやくカラダが温まってきた。旭川大学に近い駅のホームに降りると、うーさんがいた。なんと、ひろみちゃんも。3人で仲良くお風呂に行く。(もちろん、男女別デス。)

 洗濯を済ませ、宿になっている旭川大学の武道場へ。なぜ、旭川大学なのか?とうと、主催者の母校だから。そこでみんなで雑魚寝。

 寝袋を送っていない私は、そのまま畳の上に横になる。

 寝袋もさることながら、来年は富川と富良野の宿に靴を送っておいた方がよさそうだ。なぜなら、4日と半日でダメになるから・・・

 大会も残り3日・・・このペースだと、今日買ったシューズで宗谷岬まで行けるだろう。

 
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