川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

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松岡洋右は「アメション」だった

2024年12月16日 | 人物
「アメション」とは、「アメリカに行ってションベンしてきた人」を揶揄する言葉。清水克衛さんが使う。

アメリカに行っても、ほんとうに西洋とかアメリカとかキリスト教とかを学んできたのではなく、テキトーに遊んで、ちょっと英語が上手になって、エラソーにしている人々を、侮蔑的に、「アメション」と言うらしい。

ま、「出羽守」と同じですね。アメリカでは、、、、 イギリスでは、、 と「では」を連発する人。要するに自分がない人。

日本と日本文化に対する理解が浅く、とりあえず、とにかく、取ってつけたように、アメリカの文物を輸入する人。

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この「アメション」の典型人って、松岡洋右では。

松岡洋右は、思春期をアメリカで過ごした。高校・大学を。だからもっのすごく、英語が上手だった。当時の日本人の会話力からしたら、もう図抜けていた。ダントツで、どえらく、独壇場で、上手だった。ペラペラだった。

だから何だ。

その「英語上手」の松岡洋右が、日本に何をもたらしたか。

日本を幸せにしたのか。日本の役に立ったのか。

松岡洋右のハイライトは、リットン調査団とか満州建国(1931年)とかの後に、国際連盟を「颯爽と」脱退した、有名な、あのシーン。1933年。

 こちら(松岡洋右の大演説)

帰国して、大喝采を受けた。

しかし。

その熱狂が、1936年の日独伊三国同盟につながり、大東亜戦争の敗北につながった。

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そんな松岡洋右が出世したのは、抜群の英語力。

20~30年ほど前に読んだ本からの記憶で、ウラは取れませんが、松岡洋右は、アメリカ留学時代の思春期に、アメリカ人の友人と、「マス掻き競争」をしていた。

一緒にマスターベーションをして、どちらが遠くに射精した精子を飛ばすか、って競争。

そんな競争が成り立つのか意味不明ですが、インパクト強烈なので、忘れられない。

多少の脚色があるかもですが、松岡洋右は、こういう、「アメリカ人とマス掻き競争をした」ことが自慢の種だった。これは間違いない。

そんな松岡洋右は、結果論ですが、「アメション」に過ぎなかった。「ションベン」ではなく「マスターベーション」だから、アメションならぬ「アメマス」ですかね、、、


 
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