教育の非対称性。
教師がほんとうに教えたいことを、生徒は学ばない。
生徒がほんとうに学びたいことを、先生は教えない。
教師がなんとも思っていないことを、生徒は覚えている。
生徒がなんとも思っていない言動を、教師は覚えている。
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親子間でもそうだろう。
親がほんとうに伝えたいことを、子どもは受け取らない。
子どもが心底欲していることを、親は与えない。
親がなんとも思っていない日常の些事を、子どもはずっと覚えている。
子どもがなんとも思っていない言動を、親は教育の根幹として厳しく教え込む。
教育の非対称性かぁ。
よく言ったもんだ(今朝読んだなにかの本に書いてあった、出典は忘れた。)。
かくも、教育は虚しく、空しいものではある。
しかし。
教育とは、流水に文字を書くが如き儚いもの。だがそれを岩壁に刻み込むが如き真剣さで取り組まねばならぬ。
という森信三の言葉を私は諒とする。
教育に、非対称性があるからこそ、我々教える側の、一挙手一投足が問われている。
非対称性があるからこそ、我々は「岩壁に刻み込むが如き真剣さ」で、取り組まねばならぬ。