朝が氷点下の寒さがやって来ました。
昨日は、敏美さんの車のタイヤをスタッドレスに変えたり、布団干しや障子戸周りのほこり掃除をしたりして、寒さ生活への備えをしました。年の瀬です。
この時期に届く便りは、喪中連絡です。
若いときは、祖父母が亡くなりでしたが、やがて父、母が亡くなりが増え、今は兄弟、姉妹が亡くなり、という文面が多くなりました。
私も4月に母が亡くなっていますので、喪中連絡をして、新年の挨拶をお断りするのが通例なのですが、どうしてか連絡する気が起こりません。母のことを知らない方に連絡するのをためらってます。
そこで賀状をいただいた方には、喪中だった旨を返信し、気心が知れた友達にはLINEで連絡しようと決めました。
そんな中、一昨日仕事から帰り、腹ペコで帰った私の食事後、敏美さんが、
「ご飯食べたから、このハガキを読んで」
と言って喪中ハガキを渡されました。
差出人は大学の友人の奥様で、その友人が亡くなったことを知らせるものでした。
急に涙が溢れ、昔の記憶が次々と蘇りました。
「ご飯前に知らせると、ご飯が食べられなくなるからね」
と敏美さん。
すぐに大学仲間3人に連絡しました。みんな驚き、悲しみにくれていました。
その話の中で、
「あいつも亡くなったんだよ」
ともう一人、友人の死も知りました。
大学時代、共に沖縄や琵琶湖、三重の山奥で実習したかけがえのない仲間がいなくなることが、これほどつらいとは、、、
そんな年齢になったんだ、と痛感させられました。
落ち着いたら集まって供養させてもらおうと思い、私、敏美さん、友人三人とは今後も連絡を取り合うことにしました。
前回集まったのが、上郡に来る前の5年前、私たち夫婦の大阪お別れ会。それからコロナがあり、みんなとの関わりが薄れていました。
これからの人生、あまり時間がないんです。やり残したことのないように過ごさなくてはなりません。そして、友の分までしっかり生きていかねば❗️