今日の朝日新聞で、水俣病の記事が出ていた。写真家ユージン・スミスさんの軌跡をたどった記事である。
第一面の写真に出ていた水俣病患者さんの現在の年齢が68歳、さらに社会面の胎児性水俣病患者さんが65歳、64歳であった。
水俣病が世の中に発表されたのが、1956年5月であり、私が生まれるほんの少し前であった。
大学の寮で、森永製品をことごとく廃棄する先輩がいた。パチンコの景品で森永のチョコレートをもらうと店員さんに叩き返すような人だった。障がい児関係の学科のその先輩から、森永ヒ素ミルク事件のことをよく聞かされた。1955年夏、乳児の飲む森永の粉ミルクにヒ素が混入していた事件である。1955年の夏に判明し、1万人以上の乳児がそのミルクで重い障害が残ってしまった。先輩の同世代が生まれたときの事件である。このことから先輩は障がい児教育の道を選んだ。
高度成長期の前半に私たちは生まれた。
親は生まれてきた我が子に、すべての愛情を捧げて育てた。ただ、世の中はそんな人々のささやかな生活より、経済的成長を目指していた。
その後、新潟の第二水俣病、公害、そして原発事故と、人より経済が優先した事例が続いている。
私たち同世代は、そんな時代を生きてきたのだ。もちろん、起こった問題の責任は私にもある。しっかりと自覚したい。
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