こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

あれから20年、忘れられないこと、忘れてはならないこと

2015-01-17 23:14:53 | 震災・原発・自然エネルギー
20年前のあの朝、私は赤旗しんぶんの配達中でした。

マンションの4階から、街が燃えているのが、はるか向こうに見えました。

家に帰る途中で、ブロック塀の一部が崩れたところがありました。

家に帰ると、当時、小学生だった娘達はテレビの前で震えていました。


そして、そのテレビの報道で、マンションの4階から見た炎の街は、私の大切な友人と家族が暮らす神戸・西宮・・・であることを知りました。

その友人と連絡がとれたのは翌日の夕方でした。それまでの時間の長かったこと・・・。


1995年1月17日の未明に発生した阪神・淡路大震災から今日で20年。

死者6434人、家屋の全半壊約47万世帯。

助かった命、しかし仮設住宅や復興住宅での「孤独死」も1100人近くになると言われます。


借り上げ復興住宅の入居期限が迫り、退去を迫られている問題、家も財産も失った方々の復興援護資金の返済問題など、20年たった今もまだまだ「生活の再建」がなされていない状況が伝えられています。


被災者の皆さんの永年の運動が実って、「国や自治体は個人の財産被害の補償はしない」という壁を打ち破った「被災者生活再建支援法」は、東日本大震災などその後の災害に生かされています。


1995年も一斉地方選挙の年でした。「わが町の防災計画は?」「消防力は充分か?」など、議論になりました。

自然の災害を防ぐことはできなくても、被害を最小にするためにできること、しなければならないことはたくさんあります。




今日の朝は後援会ニュースの仕上げ、印刷、そして午後は日本共産党泉大津市委員会と後援会主催の 新春のつどい」。

私も4月の選挙で7期目に挑戦する決意を表明させていただきました。




コメント (2)
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