20年前のあの朝、私は赤旗しんぶんの配達中でした。
マンションの4階から、街が燃えているのが、はるか向こうに見えました。
家に帰る途中で、ブロック塀の一部が崩れたところがありました。
家に帰ると、当時、小学生だった娘達はテレビの前で震えていました。
そして、そのテレビの報道で、マンションの4階から見た炎の街は、私の大切な友人と家族が暮らす神戸・西宮・・・であることを知りました。
その友人と連絡がとれたのは翌日の夕方でした。それまでの時間の長かったこと・・・。
1995年1月17日の未明に発生した阪神・淡路大震災から今日で20年。
死者6434人、家屋の全半壊約47万世帯。
助かった命、しかし仮設住宅や復興住宅での「孤独死」も1100人近くになると言われます。
借り上げ復興住宅の入居期限が迫り、退去を迫られている問題、家も財産も失った方々の復興援護資金の返済問題など、20年たった今もまだまだ「生活の再建」がなされていない状況が伝えられています。
被災者の皆さんの永年の運動が実って、「国や自治体は個人の財産被害の補償はしない」という壁を打ち破った「被災者生活再建支援法」は、東日本大震災などその後の災害に生かされています。
1995年も一斉地方選挙の年でした。「わが町の防災計画は?」「消防力は充分か?」など、議論になりました。
自然の災害を防ぐことはできなくても、被害を最小にするためにできること、しなければならないことはたくさんあります。
今日の朝は後援会ニュースの仕上げ、印刷、そして午後は日本共産党泉大津市委員会と後援会主催の 新春のつどい」。
私も4月の選挙で7期目に挑戦する決意を表明させていただきました。
マンションの4階から、街が燃えているのが、はるか向こうに見えました。
家に帰る途中で、ブロック塀の一部が崩れたところがありました。
家に帰ると、当時、小学生だった娘達はテレビの前で震えていました。
そして、そのテレビの報道で、マンションの4階から見た炎の街は、私の大切な友人と家族が暮らす神戸・西宮・・・であることを知りました。
その友人と連絡がとれたのは翌日の夕方でした。それまでの時間の長かったこと・・・。
1995年1月17日の未明に発生した阪神・淡路大震災から今日で20年。
死者6434人、家屋の全半壊約47万世帯。
助かった命、しかし仮設住宅や復興住宅での「孤独死」も1100人近くになると言われます。
借り上げ復興住宅の入居期限が迫り、退去を迫られている問題、家も財産も失った方々の復興援護資金の返済問題など、20年たった今もまだまだ「生活の再建」がなされていない状況が伝えられています。
被災者の皆さんの永年の運動が実って、「国や自治体は個人の財産被害の補償はしない」という壁を打ち破った「被災者生活再建支援法」は、東日本大震災などその後の災害に生かされています。
1995年も一斉地方選挙の年でした。「わが町の防災計画は?」「消防力は充分か?」など、議論になりました。
自然の災害を防ぐことはできなくても、被害を最小にするためにできること、しなければならないことはたくさんあります。
今日の朝は後援会ニュースの仕上げ、印刷、そして午後は日本共産党泉大津市委員会と後援会主催の 新春のつどい」。
私も4月の選挙で7期目に挑戦する決意を表明させていただきました。