昨日の「新春のつどい」で、「7期目に挑戦する決意を表明」したことを昨日の終わりに書きました。
「つどい」は午後から。ちょうど、会場に向かっている時間に猛烈な雨。冷たい雪まじりの雨でした。
そんな中でも、足を運んでくださった皆さんに感謝です。
かなり直前まで、「どんなあいさつをしたらいいか」、迷っていました。
自分の記録のためにも、私が昨日、皆さんに聞いていただいた話の一端をここに残しておきます。
24年間・・・・本当にたくさんの皆さんに支えていただいての24年間でした。
私にとって「議員になる」ことは、自分でも思いがけないことでした。
「自信があった」わけではありません。
お聞きする相談のひとつひとつに、何とか少しでも応えたいと思いながら、法律や制度の勉強をしてきました。
24年間で、大きく変わったこと。いい方向に変わったのは「市民参加」ということ。
市政の主人公は市民の皆さん、ひとりひとり。「大切なことを決めるときに、市民に知らせない。市民がモノを言う機会がないのはおかしい」とずっと言い続けてきました。
介護保険が始まる前、全ての自治体で初めて「老人保健福祉計画」をつくるときに「素案の段階で示す」ことを求めましたが、当時は「素案」は議会にも示されませんでした。
策定委員会も非公開。今では、例えば「介護保険事業計画」素案は、ホームページで公開され、市役所のロビーの資料コーナーにおかれ、誰でもみることができます。
各種の審議会などは「公開」があたりまえ。国保運営協議会が非公開であったのも、常任委員会の委員長として協議会に入ったときに「公開するべき」と意見を言いました。今は公開されています。
多くの市民の願いが生かされたときに、「間違いのない」方向に進むということを確信します。
(これは、私の体験に基づく「確信」です。泉大津駅や松ノ浜駅の再開発を進めていたときには、住民合意なく事業が進み、「後戻り」ができない段階で地元から異論の声があがりました。昨年、開通した道路・南海中央線が歩行者優先の道路として整備されたのは、「住民参加」の議論の賜物です。)
24年間の、「前向きの変化」の、もうひとつは「子育ては、親や家庭だけの責任ではなく、社会全体で応援する」ということ。
私が子育てをしている時期に、日本共産党の先輩議員の提案で「乳幼児医療費の無料化」がまず、ゼロ歳からスタート。その対象年齢引き上げを、求め続けてきましたが、「親が子ども医者代ぐらい、出すのはあたりまえ」という声もありました。
全国でも、大阪府下でも「中学校卒業までの医療費の助成」が、すでに大きな流れになっています。
「安心して預けられる保育所を」と保護者会の皆さんと一緒に運動をしてきましたが、今、泉大津では「公立保育所廃園・民営化」の動きはストップ、「就学前の保育・教育に市が責任を持ってよりよいものを」という努力がされているのは嬉しいことです。
「子育て支援」はまだまだ充分ではないとはいえ、「子どもは社会の宝」だということ、自治体が優先的に取り組むことだということは「常識」になったと思っています。
逆に24年間で、よくならなかった、むしろ後退したのは、高齢者の医療と介護。
24年前は65歳になれば医療費の心配はいらなかった。今は、無年金・無収入であっても70歳まで3割負担。
「介護保険ができたおかげで、助かった」という声もありますが、利用料の負担が重く、サービスを使えなくなった方はそれ以上にたくさんおられます。
長く凍結されていた「70歳~74歳の医療費」が1割から2割に引き上げられ、来年度からは介護保険料があがり、利用料の引き上げも。そして、よほど重度にならないと特別養護老人ホームに入所申請さえできない。在宅のサービスも制限。
「健康で文化的な生活(25条)」「生命・自由・幸福追求の権利(13条)」を全ての国民に約束した憲法に照らして、絶対に許されないことだと思っています。
というようなことを話しました。
「24年間」という時間の単位で振り返ってみたときに、「言い続けてきてよかった」と思うこと、「まだまだ言い続けなければならないことがある」ということが、見えてきた気がします。
「つどい」は午後から。ちょうど、会場に向かっている時間に猛烈な雨。冷たい雪まじりの雨でした。
そんな中でも、足を運んでくださった皆さんに感謝です。
かなり直前まで、「どんなあいさつをしたらいいか」、迷っていました。
自分の記録のためにも、私が昨日、皆さんに聞いていただいた話の一端をここに残しておきます。
24年間・・・・本当にたくさんの皆さんに支えていただいての24年間でした。
私にとって「議員になる」ことは、自分でも思いがけないことでした。
「自信があった」わけではありません。
お聞きする相談のひとつひとつに、何とか少しでも応えたいと思いながら、法律や制度の勉強をしてきました。
24年間で、大きく変わったこと。いい方向に変わったのは「市民参加」ということ。
市政の主人公は市民の皆さん、ひとりひとり。「大切なことを決めるときに、市民に知らせない。市民がモノを言う機会がないのはおかしい」とずっと言い続けてきました。
介護保険が始まる前、全ての自治体で初めて「老人保健福祉計画」をつくるときに「素案の段階で示す」ことを求めましたが、当時は「素案」は議会にも示されませんでした。
策定委員会も非公開。今では、例えば「介護保険事業計画」素案は、ホームページで公開され、市役所のロビーの資料コーナーにおかれ、誰でもみることができます。
各種の審議会などは「公開」があたりまえ。国保運営協議会が非公開であったのも、常任委員会の委員長として協議会に入ったときに「公開するべき」と意見を言いました。今は公開されています。
多くの市民の願いが生かされたときに、「間違いのない」方向に進むということを確信します。
(これは、私の体験に基づく「確信」です。泉大津駅や松ノ浜駅の再開発を進めていたときには、住民合意なく事業が進み、「後戻り」ができない段階で地元から異論の声があがりました。昨年、開通した道路・南海中央線が歩行者優先の道路として整備されたのは、「住民参加」の議論の賜物です。)
24年間の、「前向きの変化」の、もうひとつは「子育ては、親や家庭だけの責任ではなく、社会全体で応援する」ということ。
私が子育てをしている時期に、日本共産党の先輩議員の提案で「乳幼児医療費の無料化」がまず、ゼロ歳からスタート。その対象年齢引き上げを、求め続けてきましたが、「親が子ども医者代ぐらい、出すのはあたりまえ」という声もありました。
全国でも、大阪府下でも「中学校卒業までの医療費の助成」が、すでに大きな流れになっています。
「安心して預けられる保育所を」と保護者会の皆さんと一緒に運動をしてきましたが、今、泉大津では「公立保育所廃園・民営化」の動きはストップ、「就学前の保育・教育に市が責任を持ってよりよいものを」という努力がされているのは嬉しいことです。
「子育て支援」はまだまだ充分ではないとはいえ、「子どもは社会の宝」だということ、自治体が優先的に取り組むことだということは「常識」になったと思っています。
逆に24年間で、よくならなかった、むしろ後退したのは、高齢者の医療と介護。
24年前は65歳になれば医療費の心配はいらなかった。今は、無年金・無収入であっても70歳まで3割負担。
「介護保険ができたおかげで、助かった」という声もありますが、利用料の負担が重く、サービスを使えなくなった方はそれ以上にたくさんおられます。
長く凍結されていた「70歳~74歳の医療費」が1割から2割に引き上げられ、来年度からは介護保険料があがり、利用料の引き上げも。そして、よほど重度にならないと特別養護老人ホームに入所申請さえできない。在宅のサービスも制限。
「健康で文化的な生活(25条)」「生命・自由・幸福追求の権利(13条)」を全ての国民に約束した憲法に照らして、絶対に許されないことだと思っています。
というようなことを話しました。
「24年間」という時間の単位で振り返ってみたときに、「言い続けてきてよかった」と思うこと、「まだまだ言い続けなければならないことがある」ということが、見えてきた気がします。