こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

国保の危機は本当か?

2012-01-18 21:13:01 | 読書


20年前、議員になってまもなく、国保料引き上げの条例改正が議案となった。
所属していた委員会に付託された。
過去の会議録で先輩議員の発言を読んでも、言葉の意味からわからず、「エライことになった」(大阪以外の方へ。「大変なことになった」という意味です。)と思ったことは、今でも悪夢のよう。
必死で勉強した。

そのとき「こういう本があったら」と今さらのように思う。

今、3人の議員団の構成は、6期目の私と、あとふたりはフレッシュな1期目。
「予算委員会までにぜひ読んでください」と言って、3冊まとめて購入しました。

今、第3章まで読んだところです。

歴史的にたどって、「国保会計の“複雑化”は、国庫負担削減、国保の“助け合い制度”への変質と表裏一体ですすんだ」という流れがくっきりと浮かび上がってきます。
そして、その“流れ”を「国民の生活が第一」を看板に政権交代を果たした民主党政権が、忠実に継承していることも。

泉大津市国保財政の累積赤字のピークは2009年。2010年、11年度は連続してかなりの単年度黒字を計上した。毎年、1億円規模で赤字を累積し、13億円余りとなった頃、「財政健全化にとって重い足かせ」と言われた。
しかし、国保の赤字は、市民、加入者の責任ではない。
収納率による調整交付金のカットだけで約4億円。(1998年度から2009年の累計)福祉助成による国庫負担の減額のペナルティーで2億5千万。(2000年度から2009年)市の一般会計から繰り入れは、一定期間、条例減免分も含めて独自減免をゼロにした。
2008年度から繰り入れを復活している。「財政指標」を、一般会計だけでなく特別会計を含めた連結でみるようになったからだ。

国が不当なペナルティをやめ、市が毎年度「あたりまえ」の繰り入れをしていれば、国保は「莫大な赤字会計」にはなっていない。

本書のサブタイトル、「作られた赤字の理由(わけ)を知るために」
泉大津国保の赤字も、まさに「作られたもの」だ。

しっかり勉強して、予算議会に臨みたい。

いい本をありがとう!!





著者;寺内順子 1981年より大阪社会保障推進協議会事務局、現在事務局長
発行;日本機関紙出版センター
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悲しい話です・・・それが事実であるなら

2012-01-17 23:45:45 | 市政&議会報告
新聞、テレビのニュースで泉大津の名前が大きく報道された。
大変ショックな事件です。

我が家では、私より先に長女が新聞の記事を目にとめ、そして読んでいた。

午後1時から緊急の市議会会派代表者会議が召集され、出席した。

教育委員会事務局からの報告は、新聞紙上で報道された内容説明の域を出ないものだったと思う。
「事件の概要」を報告より引用すると「旅行会社元従業員は以前より長年にわたって修学旅行の担当者でありましたが、別件の横領罪により警察の取調べを受けておりました。その捜査の過程で、前校長が平成22年8月11日~16日までの6日間の家族旅行の大幅値下げ(310万円相当の航空券の割引)を受けたとして、収賄容疑で逮捕されました。」とのこと。

説明を受けて、各議員から質問、意見が相次いだ。修学旅行だけなのか?今後の対応は?修学旅行等についての教育委員会としての関わりは?・・・等々。

まだ「容疑」の段階であり、断定的なことは言えないが、事実であればとても残念なことだ。
現職の当時、何度か学校を訪問し、中学校の大規模化、過密化の問題などについて意見を交換した。
子どもたちを見る目の温かさを感じた。それだけに、とても残念だ。

今、私が一番気になるのは子どもたちの心に残したであろう傷、痛み。あるいは不安。
会派代表者会議では、そのことについて発言した。
教育委員会の報告では「生徒・保護者に動揺を与えないようにするとともに、信頼関係の回復に努める」と言われた。
「動揺をあたえないように・・・」と言うが、動揺があって当然だと思う。
その動揺をしっかり受け止め、ごまかしのない言葉で応えて欲しいということを求めた。

そのためには、教育の現場で問題を深く掘り下げた検証、議論がされなければならない。
それは、まだまだではないかと思う。

たまたま「横領容疑で逮捕された容疑者の供述」から発覚した。
自浄能力を発揮できる教師集団であって欲しい。

退職された(だいぶ以前に)元先生に、在職中、子どもたちが使う教材の購入に関わる業者からのリベート、保護者から預かるお金を預金にした利子を職員の遊興費に使う、保護者からの中元・歳暮、PTA会費の不適切な使用などの悪弊を、職員間の徹底した議論でひとつひとつなくしていった話をお聞きしたことがある。

保護者の負担はできるだけ少なく、お金の出入りは曇りなく透明に、そして子どもたちが「ホンモノ」にふれる教育を・・・そのことが自由闊達に議論できる教師集団であってほしい。


「2度とこのようなことを繰り返さないように・・・」という通り一遍の「謝罪」では、けしてすませられない。

会派代表者会議では「修学旅行の契約費用が妥当であったのかどうかの検証(元校長が利益供与を受けたとされる金額が修学旅行費に上乗せされることがなかったのか)。市の教育委員会としての管理責任。子どもたちへの十分な教育的配慮」の3点について、教育委員会としての責任ある対応を議会を代表する議長名で求めることを全員一致で確認しました。







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介護保険事業計画の「低所得者対策」とは?

2012-01-16 22:29:48 | 社会保障
朝、昼、晩と会議の一日。朝は議員団会議。昼と夜は地域の共産党の会議。

どの会議でも「介護保険事業計画のパブリックコメントは今週金曜日まで。保険料や利用料、認定制度について意見を出しましょう」と訴えた。


「計画」案のなかに「低所得者対策の推進」という項目がある。

「低所得者への配慮」というが、在宅サービス等の利用料1割負担の減免については、いっさい記述がない。
「介護保険以前」は、ヘルパーさんにきてもらっても「住民税非課税」であれば無料だった。そのころ、年金生活者の大半は「住民税非課税」だった。(年金額の問題ではなく税制度の改悪以前だったため)

2000年に介護保険が導入されて最初の3年間、「激変緩和」で「訪問介護を以前から利用していた場合」に限り、3%に軽減した。2期目の「計画」は「経過措置として・・・3%に軽減していますが、平成15年度からは6%に、平成17年度からは10%になることから、今後対応を検討する必要があります。」とした。

どんな検討がされたのか?定かではないが、平成17年度以降、一律10%となり、その後の「計画」では「検討」の文字さえ消えた。

「第5期計画」案に「所得段階別加入割合及び加入者数」という表がある。
第1・第2段階をあわせて、約25%、人数にして4千人あまり。
これは、年金収入が年間で80万円以下の方だ。
第2段階は22%。年間80万円、月に7万円以下の収入で生活保護は受けておられない。
どうして、介護保険の1割の利用料が負担できるだろうか。

風邪引きぐらいでは病院にいかない。「病院に行ったときは手遅れだった」という話を何度もお聞きしてきた。
1割の利用料を払ってまでヘルパーさんに来てもらったり、デイサービスに行ったりはしない。

「12年間で高齢者の人数は1・5倍に、保険給付は2倍に増えた」と昨日書いた。
これが、うたい文句のとおり「誰でも、いつでも」使える制度として「保険給付が高齢者人口の伸びを上回って2倍」になったのなら、「介護保険制度が定着してきた」と言ってもいいかもしれない。
しかし、保険給付の倍加は一定以上所得のある人たちの利用によるものだ。

一定の所得があっても、家族の介護を支える日々の大変さを思うと介護の専門職の手を借りることで人生の大切なときを過ごしていただきたいと思う。

問題は「一定以上の所得」がなければ、使えない制度になっていることだ。

「高齢者であり、低所得者であり、介護が必要な方々・・・3重の意味で社会が支えなければならない方々を排除する仕組み」だということを議会でも言い続けてきた。

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介護保険の12年

2012-01-15 22:00:18 | 社会保障
昨日の介護保険の話の続きです。

今、国が進めようとしている改悪、負担増とさらなる「軽度者」のサービス切捨てなどについて考えるとき、介護保険制度がスタートしてからの12年をふりかえる必要があると思いました。

しかし、「ふりかえる」話ばかりしていたら時間が足りません。本題は、「総合事業」や保険料、利用料の話をしなければなりませんから。

そこで、2000年から2011年までの12年間の「高齢者数、認定者数、保険給付総額」を各年度ごとにエクセルで数字を入れ、グラフにしてみました。

高齢者数は右肩あがりのほぼ直線。
2000年の保険制度スタート時点では、約1万人だった65歳以上人口が2011年には、約1万5千人、1.5倍に増えました。
特に、75歳の以上の後期高齢者の増加が著しく、2000年の約4千人が、2011年には約7千人。

当然のことのながら認定者数も保険給付総額も増えています。それぞれ、ほとんど倍化です。

ところが、認定者数と保険給付は高齢者数のように直線のグラフになりません。

右肩上がりは2005年度まで。2006年度には一旦減少。その後、微増です。

2006年に何がおこったか?
「予防重視」の口実で車椅子や介護ベッドをとりあげ、在宅サービスを制限、認定基準も厳しくしました。
高齢者、特に後期高齢者が増えているのに、認定者・認定率が減り、保険給付総額も減りました。

自然に減ったのではなく、無理やり減らしたのです。

3年前に「事業計画」見直しのとき、制度改悪の影響について実態調査も検証も分析もなく、ただ「計画よりも認定者数は少なかった」などと平然と記載する「計画案」に対し、私は提出したパブリックコメントの冒頭に「計画策定の前提条件を欠いている。」として以下のように書いたものです。

【「計画」策定は、現行「計画」に基づく事業の影響・効果の検証の上にたって行われるべきである。それが極めて不十分な本「計画」は暫定的な「案」として位置づけ、高齢者と家族の実態を願いを反映した「計画」の策定を、あらためて行政と市民の共同の事業として取り組むことを求める】

歩けない人から車椅子を取るあげるような酷い仕打ちをしておいて、「その結果何がおこったのか」の検証さえなく、「計画と実績の乖離」を数字だけ掲載している無神経さは、今も許せません。
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このまちで安心して暮らし続ける保障をつくるために今、できること

2012-01-14 22:21:25 | 社会保障
泉大津社会保障推進協議会の会議兼学習会で「介護保険第5期事業計画」について話をさせていただいた。

報告のサブタイトルに書いたのが表題の「このまちで・・・」。

きょうの報告をつくるにあたって、これまでの「計画」を、ざっとではあるが見直した。

1994年3月 初めての「老人保健福祉計画」
2000年3月 初めての「介護保険事業計画」を含む「第2次老人保健福祉計画」
2003年3月 「地域福祉計画」の第3章に「第3次高齢者保健福祉計画(第2期介護保険事業計画を含む)
2006年3月 「高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画」H18-20年度
2009年3月          同上         H21-23年度

残念ながら、「いつでも、どこでも、だれでも必要なサービスが利用できる」体制とは、ほど遠い。
しかし、「市民参加、情報公開」は少なくとも理念、原則としては大きく前進した。

初めての「老人保健福祉計画」策定のときは、「素案」は議会にも示されず、策定委員会も非公開だった。
策定委員会の公開、委員の市民公募を求めた。そして示された「案」に対して「私たちの対案」も作り発表した。

今、計画策定のための委員会は市民公募の委員が入り、委員会(推進委員会)は公開される。
パブリックコメントも行われる。

「要求して実現した制度を生かして、少しでもいい計画を一緒に作ろう!!」という思いをこめて1時間余り話をさせていただいた。

参加者のひとり、Nさんの発言から。
「95歳の母親が、認定更新で要介護2から要支援2に。これまで週3回通っていたデイサービスに1回しか行けなくなる。デイサービスで、お風呂も入れた。人とふれあうこともできて、認知症の症状も改善した。1週間のうち6日、家に閉じこもりになったら、また認知症がすすむのではないかと不安。お風呂も家では大変。」
Nさんは、別居のおかあさんの家に朝昼晩と通って、食事などの世話をしていると言います。特に「投薬の管理」は欠かせない。「絶対飲まなければいけない」と医師に言われていた薬を飲まずに、体に変調をきたし大変なことになった経験も。

95歳のおかあさんは、認定調査のときに「・・・ができますか?」と聞かれれば、がんばって「できる」ところをみせるだと言う。「人に迷惑をかけずに・・」と、誇り高い一人暮らしをしてこられたのだと思う。

「薬を間違えずに飲むように、朝昼晩と通って見届けなければならない」95歳の高齢者に「要支援」の認定はどう考えてもおかしい。

一番大変な人は、声さえあげられないのだと思う。
声にならない声をすくあげるもの、本来行政の役割だ。
だから、「郵送アンケートだけではない聞き取り、実態調査を」と言ってきた。

パブリックコメント〆切まであと1週間。
出来る限りのよびかけをしようと、あらためて思った。

たくさんの「Nさん」がいるに違いない。




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もっと怒らないといけない!

2012-01-13 21:34:28 | つぶやき
内閣改造は何のため?

「不退転の決意で、消費税増税を進める」とあからさまに言う。
「税と社会保障の一体改革などに取り組む態勢強化のため」と言う。

2年半前の衆議院選挙のとき、長く日本共産党に支持と期待を寄せていただいていた方に「今度ばかりは民主党に一票入れる」「もう待てない。政治が変わるのをこの目でみたい」と言われた。
残念ながら、その目で見たのは「政治が変わる」ことではなく、「政権をとった政党が国民を裏切る姿」だったのではないか?

だとしたら「何のための政権交代だったのか?」ともっと怒らないといけない。

「日本人はおとなしすぎる」と、おっしゃる方もある。
「あなたは?」と問いたい。

ブツブツつぶやくだけでなく、今、できることを一緒にやろう!と、呼びかけあう人の輪を、どんどん広げなければいけない。

明日の夜は、介護保険の話をします。
「増税と社会保障切捨てに怒り、行動する人の輪を広げる学習会]にしたいと思います。
「税と社会保障の一体改革」は「増税と社会保障の一体改悪」だということ、介護保険の改悪もそのメニューのひとつであることを学びあいたいと思います。



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小児科の待合室で

2012-01-12 22:22:09 | 大きくな~れ
4日、東京の兄の家からの帰路体調を崩し、その晩小児救急の輪番だった市立病院に駆け込んだ孫の○ちゃん。翌日には嘔吐はおさまり、翌々日には下痢も止まり“後遺症”は、母親へのいっそうの甘え。
姿が少しでも見えないと、不安で泣きながら探す。

食欲ももどって、元気元気・・・と、思ったら、3連休の終わり、9日の夜、発熱。
翌朝になっても39度近い熱が下がらず、再び小児科を受診。

数日前に連れてこられたことを覚えているようで、激しくいやがり泣きました。
「ここは嫌いだ!」というように。

「突発性発疹かもしれない」というドクターの診断どおり、3日間熱が続き、平熱に下がったきょう、発疹が出ました。
突発性発疹という病気は、生後半年から1歳くらいまでの赤ちゃんが一度だけかかる病気で、熱は高いが余病はない。これで、一安心です。

熱があったり、体のどこかが痛かったりして、「ここが痛い」と言えない子どもは泣くしかない。小児科の待合室は、子どもの泣き声の大合唱だ。

娘が「怖いおかあさんがいた」と話していたが、私も送っていって、市役所で用事をすませ、診察が終わった頃に迎えに行く、その短い時間に「怖いおかあさん」に会った。
泣いている子に「うるさい!いい加減にしいや!!」と叱る。その声は、ほんとに怖かった。

お母さんもきっと疲れてるんだろう。けれど、小さな体で病気と闘う子どもは、抱きしめてあげて欲しい。子どもは、愛された記憶を心と体に刻みながら大きくなっていくのだから。疲れてるお母さんに、癒しの時間、ゆとりが必要なのかもしれない。



飲んでは吐いてしまうときに、「少しづつ水分を与えるように」と言われ、娘はそれを忠実に守ろうとしていた。「たくさんあげたいけどね、また吐いちゃうからね。」と言い聞かせながら。子どもは「もっと、もっと」と泣いて欲しがり、泣きながらスプーンを母親の手に握らせようとする。
そのとき娘はつぶやいた。「食べさせてもらえないで、餓死したあかちゃん、どんだけ泣いただろう・・・」




きょうは、すっかり元気になってモリモリ食べました。お豆腐とトマトが大好きです。


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憲法9条・25条と障害者の権利

2012-01-11 23:10:44 | 社会保障
きょうは、泉大津9条の会の月例学習会。
いつもは、第1水曜日夜7時~の定例だが、新年ということできょうになりました。

今夜の学習会は「憲法9条・25条と障害者」と題して、森下議員が報告。
実はこのテーマは、私のリクエストでもあった。


「平和と民主主義・障害者福祉」を、昨年の5月から泉大津市会議員としてともに活動している森下議員に語って欲しいと思った。
「平和の下でしか障害者は生きられないというのが歴史の真実」と話を締めくくったあと、「障害者福祉の現場で20年」のキャリアを生かして、参加者から出される様々な質問にも答えてくれた。

「富国強兵」の掛け声で教育も「戦争のため」であった時代、「兵役を果たせないものには、教育を受ける必要はない」として、1890年小学校令改定で、「障害児の就学猶予・免除」が規定される。
戦後の新しい憲法、教育基本法のもとでも、「障害の重い子は教育を受けなくてよい」という「猶予・免除」は、長く引き継がれた。「学齢に達したすべての子どもに義務教育を保障する」ための法改正がされたのは、実に1979年4月。わずか30年余り前のことだ。明治5年の学制発布から107年、戦後の新しい教育制度の下で6・3制の義務教育が実施されてからでも32年。長い長い運動の歴史があったことと思う。

しかし、特別支援学級の超過密化や(全国の過密校の上から10位のうち6校が大阪だそうです。)、各学校での特別支援教育のクラス・人数の激増に十分な支援の体制がないなど、形の上で「義務教育」は保障しても、ほんとうに一人ひとりの障害の特性にみあった教育が保障されているとはいえない。

泉大津でも保育所や幼稚園では、介助員がついて集団保育を受けていた子が、学童保育では受け入れられず母親が仕事をやめなければならないこともずっと続いていた。
森下議員の報告で「北欧の国では、障害児が生まれると、その保護者が仕事を続けようと思えば子どもの世話をする専門の保育者を国の予算でつける。障害児の子育てのために母親が仕事をやめれば、母親自身に保育者としての人件費が保障される。その条件のなかで仕事を続けるかどうか、選択できる」ということ。

障害者の権利がどれほど守られているか?
様々な障害を持つ方々の権利が、タテマエや飾り文句ではなく実態として、暮らし・学び・働く場で、尊重されているかどうか?
それは、社会の成熟度を測るひとつのモノサシではないかと思う。

どんなに重い障害があっても安心して暮らせる社会、その子なりの成長・発達を保障される社会。
それは、かけがえのない全ての命を愛しむ社会であるはずだ。


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洋装コシノ

2012-01-10 22:03:44 | 旅行・楽しいこと
岸和田の弁護士事務所、いつもお世話になっている阪南合同法律事務所に出かけました。用事がすんで、少し時間があったので駅前の商店街を歩いて、NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」の舞台、「洋裁コシノ」を見てきました。

写真は撮りませんでした。

コシノ3姉妹にまつわるグッズのほか、地元産の野菜なども売っていてちょっと意外でした。買って帰ったのは、洋服ではなく食べものばかり。ベーコン、たまご、米粉のパン。どれも、とてもおいしかったです。

特にベーコンはいい。白菜、にんじん、ねぎ、ジャガイモ・・・野菜をベーコンの油で炒めて、おいしくいただきました。野菜の残り物も片付きました。

きょうはちょっとお疲れで、晩御飯も簡単に。
ブログもこれでおしまい。

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「成人の日」に思うこと

2012-01-09 23:18:15 | つぶやき
街に晴れ着姿の若い人たちの姿があふれる。

一年中で一番、街が華やかに彩られる日かもしれない。

きょう全国で約122万人が、「成人式」を迎えたという。
泉大津では「668人を招待した」という、成人式開式のあいさつだった。

長女が20歳のとき、「晴れ着」にも「成人式」にも全く興味を示さなかった。
親としては少し寂しくもあったが、「それも個性」と思った。
アルバイトをして少しお金が貯まると、よく旅行していた。インドの山奥にひとりで出かけ、1ヶ月も音沙汰なしのこともあった。
何年かたって、友達の結婚式に「着物が着たい。でも買うのはもったいないから、おかあさんの知り合いに貸してもらえない?」という相談。どんな心境の変化かと思えば「写真おくってあげたら、おばあちゃんが喜ぶかと思って」と、つぶやいた。
私の友人にお嬢さんの成人式の着物、少しサイズが合わないけれど着せていただいた。
「小さいときにいっぱい心配かけた、おばあちゃんに、おかげさまでこんなに大きくなりました」と伝えたい。そういうことを考えるようになった、数年遅れの娘の晴れ着姿は美しかった。

人見知りが人一倍ひどくて泣き虫で、姉の後ろをついて歩いていた次女が、アメリカに留学して一年、まるで人が変わったようにたくましくなって帰ってきた。

就職して3年目、まだまだ幼さを感じる3女も、このお正月、姉の子どもが病気のときは、確かな気配りを見せてくれた。「なかなか」と見直した。

3人の娘たちのそれぞれの「20歳」を思いおこす。
彼女たちが「おとなになった」と感じた時は、それぞれにある。
その日は「20歳」より、少し遅れてやってきた。

若い人たちからの生活の相談を受けることが多くなった。
仕事がない。心を病む人も増えている。
彼女、彼たちが「おとなになれずにいる」ことを感じることも多い。
「自分の悩み」だけを悩んでいるのだ。回りが見えていない。


きょう、成人の日を迎えた若い人たち。
「式の間は静粛に」という司会の言葉も、耳にはいっていないよう。
静粛とは、程遠い喧騒のなかで式典が終わる。
毎年の光景だ。

新成人を代表しての「誓いの言葉」で、「3・11の震災を目の当たりにして、これまであたりまえと思っていたことが、あたりまえでないことに気が付いた。人はひとりでは生きられないということも。・・・」。

これから、いろんなことを経験して、悩んだり傷ついたりしながら、ほんとの「おとな」になっていくんだろうと思う。

私の20歳。・・・自分に何ができるのか、何をしたいのか、探し求めながら、政治と社会に目を向け始めたとき。そして日本共産党と出会ったときだった。


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介護保険事業計画・・・パブリックコメントは今月20日しめ切り

2012-01-08 21:55:18 | 社会保障
「パブリックコメントを出しましょう」と言っても、どう書いていいのかわからない・・・と言う声もあり、今月の社会保障推進協議会の定例の会議を早めて、介護保険事業計画の学習会を兼ねて開催することになりました。

泉大津社保協の会議は、ほぼ定例で(時々参加団体の都合等で変わる)第3週の木曜日です。

今月は20日がパブリックコメントの締め切りで19日(木)では間に合わないので、14日の土曜日になりました。場所は、泉大津駅西口からすぐ、年金者組合の事務所です。「どなたでも気軽にご参加ください」ということですので、興味のある方、場所のわからない方。お問い合わせください。

報告(問題提起)は、私がさせていただきます。

◎「特別会計の基金は、1号保険者の払いすぎた保険料」ということの意味・・・つまり、介護保険の財政の基本的な仕組みについて
◎保険制度がスタートして12年・・・「予防重視」の名で切り捨てられたサービス
◎第5期事業計画を前に、国の制度改悪の特徴。「事業計画」案のなかにはどう盛り込まれたか。
・・・などについて、まとめようと思っています。

介護保険制度で「自立」とは、「保険サービスを使わない状態」を言います。
私はずっと、この言葉に抵抗を感じています。
「高齢期の自立した生活」とは、「ひとりひとりが自分が望む暮らしをすること」だと思うのです。
自分の意思で自分の行きたいところに行く。
自分が食べたいものを食べる。
きょう何をするかを、自分で決める。
そんな「自立」した暮らしのために、それぞれに必要な支援が公的に保障されるべきだと考えています。

介護保険制度がスタートするときに「それぞれが選択したサービスを利用して、住み慣れた地域で暮らし続ける」ことをめざすと言ったはず。

「そもそも」に立ち戻って、みなさんと一緒に考えたいと思っています。


あなたもぜひごいっしょに。

   介護保険事業計画学習会
1月14日(土)夜7時~9時
年金者組合事務所
(泉大津駅西口より南へすぐです)

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和気致祥

2012-01-07 22:58:17 | 日本共産党


毎週土曜日朝10時からの「野菜の朝市」は、来週14日から。
ただし、寒い季節は端境期で、お休みのこともあります。
事務所前に掲示しますのでよろしく。

野菜の生産者のHさんは、お習字の先生でもあります。

事務所前に掲示していただいた「新年のごあいさつ」が素敵なので、ブログを見てくださるみなさんにも、お贈りします。

「和気致祥」・・・・「わきちしょう」・・・「和らいだ気が満ちてくると、めでたいがおこる」という意味だそうです。
「笑う門には福来る」と、似ているかもしれません。
そして、それよりも意味が深~い感じがします。

きょうは朝から玉造の日本共産党大阪府委員会の事務所で、今年初めての府委員会総会。帰って、夕方、いつも私の活動を支えてくださる地域の日本共産党支部の新年会に途中から参加。その後、相談の電話をいただいていた方をお訪ねし、娘と孫の晩御飯を急いで作って、夜は後援会の幹事会でした。

政権交代2年半で早くも末期症状の民主党政権。それは「政権交代可能な2大政党づくり」の破綻でもあります。
特に大阪では「2大政党の支持基盤」が一気に崩れ、橋下・維新の会への期待となってあらわれています。

今年、2012年を「国民の願いが届く政治」への大きな転換の年とするために、元気に明るく、そしてひとつひとつの仕事に心をこめてやり抜いていく決意を固めた一日でした。
「和気致祥」・・・「めでたいことがおこる」と言っても、「いつかそのうちおこるだろう」とじっと待っているのではなく、「切り開いていく」のが、私たちの信念です。
鋭く闘うためにこそ、「和気」を満たしたいものです。
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民主党政権の行く末

2012-01-06 23:34:25 | つぶやき
昨日5日は市と商工会議所共催の新年互礼会。

市長の挨拶の冒頭、民主党の消費税増税論議にふれて「民主党は消費税を上げると選挙で公約しましたか?してないんです。約束したことはやらない。約束をしていないことはやる。・・・」と辛口。

「そのとおり」・・・ではあるけれど、「市長さん、子ども医療費助成の拡充は公約でしたよね。今年の4月には、北海道から九州までの市町村で、通院で就学前の助成をしていないのは、残念ながら泉大津だけになりそう。約束したことはやってもらわないと」と心のなかでつぶやきました

来賓として出席、挨拶にたった18区選出の中川治衆議院議員。「消費税増税には反対。野田内閣の暴走とたたかう」と、明言したのは、なかなか心強いものでした。・・・と言いたいところですが、少々疑問符つきです。
年末ぎりぎりまで党内議論。30日の夜遅くまで続いた民主党議員の会議、「最後までいたら同意したと言われるので、7時ごろ退席した」とのこと。「徹底議論で闘った」のではなく「退席」

「消費税引き上げ反対」を貫くなら、世論を味方にして国民との約束を守る党内多数派結集に全力あげる心意気をみせてほしいもの。

31日の新聞各紙は「民主党が2014年4月に消費税を8%に、2015年10月に10%に引き上げることを含めた、『社会保障と税の一体改革』原案を決めた」ことを報道しています。

中川氏の「民主党政権がいつまで続くかわからない」とポロっともれた本音に、会場から失笑も。
「政権交代」の看板かかげて18区で勝ち抜いたのは、わずか2年半前。

国民の願いに背を向けた政権に明日はないことを痛感した新年の集いでした。
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全ての駅にエレベーターを

2012-01-05 08:06:05 | 社会保障
娘は安定感、使いやすさは抜群にいいけれど、大きくて重いベビーカーを持ってきています。

駅の乗換えで、まずはエレベーターを探します。

ほとんどありますが、あっても表示がわかりにくい。(行きたいところへ、たどりつくのが大変)
何度も乗り換え、乗り継ぎしなければならないところもあります。

ホームの端から端まで歩かされることもあります。

「泉大津駅にエレベーターの設置を」と何十年も前から、要求してきました。
「高架工事のときに」と言われ、長い長い間待たされたあげく、便利なものではありません。

驚いたのは、新今宮で南海本線からJRに乗り継ぐとき、南海側にはエレベーターがありますが、
JRのホームに下りるのは階段しかない。探してないので駅員に聞いても「ない」という返事。
こんなに大きな駅で?

乗る駅と降りる駅、乗り継ぎする駅。やはり、すべての駅にエレベーターがないと、自由に外出できません。

駐車場や道路から改札へ、改札からホームへ、表示もわかりやすく、動線もいいところはあまり多くはありません。

ベビーカーの赤ちゃん連れは、それでもなんとかなります。
車椅子の方は、ほんとに困るだろうと思います。

「行きたいところに行きたいときに」「移動することは、基本的人権」と、障害者・高齢者の外出支援を議会で何度も要求してきましたが、体験しないとわからないこともあることを実感しました。

大切なことは「設計段階で当事者の声を聞く」ことなんだと思います。
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小児科夜間診療で市立病院へ

2012-01-04 23:33:53 | 大きくな~れ
とっても元気な孫の○ちゃん、今朝東京の兄の家で、朝食のあとしばらくして、嘔吐。

その後、けろっとし機嫌よく遊んでいましたが、帰りの電車の中でいつになく元気がなく、駅の「ベビー休憩室」で授乳のあと、また嘔吐。飲んだら吐いてしまいます。飛行機の中でもよく泣きました。なんとか家に帰り着きました。

朝まで寝られるといいと思いましたが、やっぱり夜も吐きました。

水分を欲しがり、飲んでも飲んだ以上に吐いてしまうので、小児救急、夜間診療の市立病院に来てます。

   【ここまで病院の待ち時間に携帯から投稿】

点滴してもらって帰ってきたのは夜中の2時でした。



点滴の針も痛々しく。おかあさんのひざの上で、泣き疲れて少し眠りました。

夜間の小児救急、輪番で水曜日が泉大津市立病院だったので助かりました。

明日の木曜日は岸和田、金曜日は貝塚。
車で行くにしてもちょっと大変です。
岸和田や貝塚だったら、夜中に連れていったかどうか?
娘は、「38度以上の熱があった時も、あんなにぐったりしなかった。
貝塚でも、連れて行ってって私は言ったと思う」と言います。

1歳だから医療費は無料でも、車がなくてタクシーで行ったら、大変です。

ドクターの診断は「明日の朝、少しずつ、水分を飲ませて吐かないようなら、それでよし。
少し飲んでも吐いてしまうようなら、もう一度点滴を・・・」ということでした。

のどが渇くので、母乳や水をほしがり「少しずつ」は難しい。
もらった薬を飲ませるのも、大変。

しばらく苦労が続きそうです。

子育てしているときに「子どもは病気しながら丈夫になっていく」と、かかりつけのお医者さんに励まされたこと、病院での長い待ち時間に娘に話しました。

「子どもの病気のたびに、親は強くなっていく」のかもしれません。

コメント (3)
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