◆幸福実現党の釈量子 「女性の活躍って何?」 唯一の女性党首の問い
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8876
◎「女性の活躍」は衆院選の重要争点
今回の衆院選では、「女性の活躍」が大きな争点の一つだ。
特に自民党は、「女性が社会で、指導的役割に立てる」環境づくりを、アベノミクスの目玉に掲げてきた。安倍首相も街頭演説で、それを盛んにPRしている。他の党も、様々な「女性政策」を打ち出し、対抗している。
女性の有権者にとっては、社会に物申すチャンスかもしれない。
◎「バリバリ働く=女性の活躍」に疑問の声
しかし中には、男性政治家たちの「女性の活躍」論に、違和感を覚える女性もいる。
安倍首相は夏の内閣改造で、女性閣僚を多く登用。国民に、「女性活躍」への本気度をアピールした。企業には「女性管理職を何人登用するか」という「数値目標」を義務付けることも、検討していた。
そんな様子を見て、「会社でバリバリ働くことだけが"女性の活躍"なの?」という疑問の声も多い。女性の労働力が、「経済成長の手段」のように捉えられている感も拭えない。
◎自民党の下村博文氏は「女性の敵」第1位
逆も然りだ。「女性は家庭にいるもの」という、固定観念が強い政治家はまだ多い。
インターネットのニュースサイト「リテラ」が、「衆院選候補者"女性の敵"ランキング」を発表し、話題を呼んだ。これは、女性への偏見を持っており、「女性の活躍」を妨げる政治家を順位付けしたもの。
ここで1位になったのは、下村博文・文部科学大臣。同氏は、「母親が傍にいて育てないと、子供が発達障害になる。だから仕事をせずに家にいろ」という考え方を持っているという。「女性の活躍」を掲げる自民党の閣僚だけに、困惑する結果だ。
子育てが大事なのは言うまでもない。しかし、男性政治家の"押し付け"的な発想に、多くの女性は反感を持ってしまう。
◎「女性の幸福論」がない女性政策
どのような女性政策も女性論も、男性政治家が語ると空虚に響くのはなぜなのか。
一つには、男性には「どんな生き方が、女性の幸福か」「女性にとっての誇りとは何か」ということがわからない。簡単に言えば、"女心"がわからない、ということがあるだろう。
◎家庭の女性の"徳"を誇る釈量子氏
今回の衆院選に立候補している政党で、一人だけ女性党首がいる。幸福実現党の釈量子党首だ。釈党首は、女性政策についてどのように考えているのか。
釈氏は本誌の取材にこう語る。
「アメリカの男女観も、迷いの中にあります。企業の女性CEOたちは、仕事と家庭の両立に苦しみ、高い離婚率を問題視した保守系キリスト教会が、『男性を立てる』良妻賢母をすすめるといった動きもあります」
「私は、本当の意味での『女性の輝き』は、日本にあったと考えています。日本神道の主宰神は、天照大神です。卑弥呼や光明皇后なども、精神性や徳の力で国を導いた偉人として、今も尊敬されています。日本における『女性の輝き』は、徳や信仰など、精神的なもので世の中を潤すことだったのです」
誰かを支える日本人女性の姿に「徳」を感じる人は多く、男性的なリーダーシップに劣らず尊敬の対象になってきた。釈党首は、それも「女性の活躍」として、日本人は誇るべきだと考える。
◎女性が内でも外でも輝ける「自由な国」へ
もちろんそれは、女性観の押し付けではない。何と言っても、釈党首自身がバリバリ働くタイプの女性。実力のある女性にチャンスを拓きたいという思いは、人一番強い。
家庭の中で誰かを支えるか、社会に出て大きな仕事をするか——。それらに優劣はなく、女性の中にも向き不向きがある。
釈党首が目指すのは、どちらの生き方にも意義を見出せ、尊重される、真に自由な社会作りだ。それは、政策でもあり、社会的な風潮でもあるだろう。
そんな女性党首が掲げるのは、「性差によらず個性や能力に応じて活躍できす社会づくり」「3人以上の子供を育てたお母さんへの税優遇や生活の保障」「保育分野での規制緩和を行い、待機児童の解消を図る」などだ。
釈党首は「この国に、もっと自由を」というキャッチフレーズを掲げ、今回の選挙戦を戦っている。女性の様々な生き方に、それぞれの意義を見出せる政治家こそ、「女性の自由」を実現するのかもしれない。
【関連書籍】
幸福実現党刊 『命を懸ける』 釈量子著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1351
【関連記事】
2014年12月5日付本欄 結婚するなら釈量子!? 美人党首の正体とは
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8863
2014年12月号記事 釈量子の志士奮迅 真に「女性が輝く社会」とはどういう社会か
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8596
「幸福の黄色いハンカチ」「鉄道員」主演の高倉健さんの霊が死後17日目にメッセージ
公開霊言抜粋レポート
世界中で愛される俳優・高倉健の魅力とは?
男は美学を持ち、桜の花のように散れ
「高倉健 男のケジメ」
2014年11月27日収録
11月10日、『幸福の黄色いハンカチ』『鉄道員(ぽっぽや)』などの代表作で知られる、戦後の映画シーンを彩った、国民的俳優の高倉健さんが悪性リンパ腫のため都内の病院で逝去した。
高倉健さんは、役者として駆け出しの頃は任侠映画を中心に活躍していたが、後年は寡黙で、無骨な役柄を演じ、老若男女問わず、あらゆる世代に愛された俳優だ。その演技は国内のみならず海外からも高い評価を受け、「反日」姿勢を崩さない中国でも高い人気を誇る。北京の日本大使館には高倉健さんの死を悼む多くの声が寄せられ、中国の国営テレビでは高倉さんの追悼番組が繰り返し放送されている。中国外務省が会見の場で、哀悼の意を示したほどだ。
多くの人に惜しまれつつ亡くなった高倉健さんだが、死後16日目の夜、霊界で誰かが手引きをしたのか、大川隆法・幸福の科学総裁のもとを突然訪問。翌27日、全国のファンに向けて、最後に一言挨拶がしたいという高倉健さん霊の霊言が収録された。
「死んでも“しゃべってる"から、よう分からん」
登場した高倉健さんの霊は「何か『死後インタビューみたいなことをするところだ』って言うからさあ」「誰かが連れてきたのかどうかよく知らないけど、なんか来ちゃったんだ」と、戸惑いを見せた。
亡くなった自覚はあるかと尋ねられると、「分からない」「知らない」を連発。
「死んでも“しゃべってる"から、よう分からん」「しゃべる人は生きとるんだがなあ、おかしいなあ」
と、死んだ後も考えたり話したりできることに驚きを隠せない様子だった。
自分自身が「死んだ」という実感はまだ薄かったようだ。
大川総裁の著書『永遠の法』(幸福の科学出版刊)では、死の自覚の難しさについて、こう語られている。
「地上の生命が息絶えたときには、霊体というものが肉体から抜け出すのです。しかし、最初は自分自身にその自覚がなくて、『自分が二人いる』と感じてしまいます」
亡くなったその日のうちに、肉体から離れる人もいるが、たいていの人は、自分が死んだことがすぐには分からない。だが、霊言の収録が進むにつれて、高倉さんの霊は死に対する理解を深めていったようだ。
健さん流 演技に取り組む「哲学」とは?
1984年に放映された日本生命のCMでは、高倉健さんが登場し「自分、不器用ですから」というセリフが話題になった。このセリフが表すように、生前の高倉さんはよい意味で、愚直で男らしい俳優というイメージが強い。
実際、演技にかける情熱、ストイックさは尋常ではなく、次のようなエピソードが残っている。
映画『幸福の黄色いハンカチ』にある、刑務所から出所後に初めて食事をする設定のシーンでは、美味しそうに食事をするため、高倉さんは2日間絶食して撮影に臨んだ。
映画『八甲田山』では、3年にわたる撮影に備えるためにマンションやベンツを売却。軍隊が訓練中に雪山で遭難してしまうシーンでは、撮影現場に足跡が残ったら不自然だという理由から、極寒を耐え、足跡が消えるまで雪山で4時間立ち続けた。
これらのエピソードは高倉健さんの仕事に対する真摯さを象徴しており、ファンの間で伝説として語り継がれている。
高倉健さんの霊は、演技に対する愚直さやストイックさについて、謙虚に振り返った。
前述の食事シーンについて問われると「“野獣の証明"みたいな感じかなあ。意外に野獣みたいに生きられる。“戦後の這い上がり期"の日本人には、よかったところもあるのかなあ」と、さらりとかわし、俳優としてベストを尽くすことは当然であるかのように振舞った。
『ブラック・レイン』で、アメリカの刑事から英語で馬鹿にされた時、英語で流暢に切り返した見事な演技について話が及ぶと、「『英語をしゃべってる』と思うところに間違いがあるわけよ。“カタカナ"を覚えたら、それで、いいわけだからさあ」と謙虚に振り返った。
自らの演技に共感が集まっている理由については、「人のなかには、一部、自分の感情をうまく表現できない人がいるからなあ。感情に忠実に生きれん人間がいるからさあ。そういう人が、自分を投影して観るんだろうなあ」と、あくまでも謙虚に分析した。
俳優として筋を通す生き方をしたい
その業績から一流の俳優と称される高倉健さんだが、人間としても一流だった。
演技に取り組むストイックで真摯な姿勢はもちろんのこと、映画撮影の休憩中には椅子に座らず他のスタッフを気遣ったりするなど、謙虚さ、優しさといった人格面も光っていた。
理想の男性像としても度々名前が上がる高倉健さん。
男性へのアドバイスを求められると、「それぞれの人の立場での『男の美学』みたいなものを持って、桜の花みたいに散ってもらいたいなあっていう感じはあるなあ」と語った。
この言葉は、まさに高倉さんの演じた役柄そのものだったと言えよう。
演技を通じて、自らが理想とする生き方を表現したことが、多くの人の共感を呼んだのだ。
「生き死にを通り越したような生き方みたいなものに惹かれるものはあったな」
「『ずる賢いことをして、私腹を肥やしているような人間』っていうのは、あんまり、私は好きではないので。《中略》『こだわらないで、人間としての筋を通して生きていく』っていうかなあ」
高倉健さんの霊はこのように語り、「男の美学」の一部を明かした。
高倉健さんのラストメッセージ
高倉健さんの霊は、最初から最後まで、寡黙で無骨で、誠実で恩義を忘れなかった。
大川総裁を通じて、ファンの皆さんに最後の挨拶ができたことへの「恩返し」として、高倉さんは、霊界があること、霊言は本物であることを淡々と語った。
「『死んだあとに、高倉健としてしゃべっている者がいる』ということは事実だ」
「霊を信じなかったり、あの世を信じなかったり、神様や仏さんを信じないっていうのは自由かもしらんけども、『事実は事実としてある』ということは言っておるし、幸福の科学や大川隆法先生が嘘をついているっていうことは、まったくない」と、霊言の真実性を強調した。
最後はファンに対する感謝の思い、日本の繁栄を祈る言葉で締めくくられた。
霊言全編を通じて感じられる高倉さんの潔さ、男としてのケジメは、サムライ精神を失いつつある日本人に対する励ましになるだろう。
本霊言では他にも、以下のような点について触れられている。
- 高倉さんにとって「自分には演じられない役柄」とは?
- 元妻の江利チエミさんへの思い
- なぜ中国で人気があるのか? 高倉さんによる自己分析
- 高倉さんが考える「名優の条件」とは
- 映画で共演した武田鉄矢さんへの評価
- 高倉さんから見た、大川隆法総裁の印象
- 高倉さんの死生観について
- 映画製作に当たってのアドバイス
- これから俳優を目指す若い人たちへのメッセージ
- 日本映画がハリウッドに遅れをとっている部分