ペリリュー島の戦いでの生存者が講演 「"狂気の戦場"ではなかった」
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ペリリュー島の戦いでの生存者が講演 「"狂気の戦場"ではなかった」
2015.03.27
講演する土田喜代一さん。
天皇・皇后両陛下が4月8日、パラオ共和国を訪れ、先の大戦での戦没者の慰霊を行います。同国のペリリュー島は、約70年前に日本軍約1万人が米軍約4万人と戦って玉砕した地。
敗戦してもなお、一部の日本兵は洞窟に立てこもって抵抗を続け、終戦後の1947年4月にようやく投降しました。その時、生存者は34人だけでした。
天皇陛下の御行啓(ごぎょうけい)が近づく中、ペリリュー島の戦いで生き残った一人である元海軍上等水兵の土田喜代一(きよかず)さんがこのほど、講演「大東亜戦争を語り継ぐ会」(産経新聞社雑誌「正論」主催)で、当時の体験を語りました。
当日、会場の靖国神社遊就館内のホールは満席に。詰めかけた聴衆は土田さんの話を真剣に聞き入っていました。
天皇陛下がパラオに訪問されることについて、土田さんは「靖国神社に祀られている人も、喜ぶんじゃなかろうかと思うわけなんですが」と嬉しそうに語りました。
「いよいよ最期が来た」
沖合から艦砲射撃の援護を受けつつ、島に近づく米軍上陸部隊(画像はWikipediaより)。
ペリリュー島の戦い当時、24歳だった土田さんは米軍の攻撃を見張る役割を担っていました。戦況が進むにつれて、ペリリュー島から飛び立った戦闘機が帰還しなくなり、米軍の侵攻も近づいているのを感じたと言います。
土田さんは当時を振り返り、「いよいよ最期が来たなと、みんな思っていたんじゃないかな」と回想しました。
「"狂気"はちょっと……」
会場から、NHKが昨年の番組でペリリュー島は"狂気の戦場"だったと報道したことについて聞かれると、土田さんは次のように述べました。
「そんなこと(狂気の戦場)を考えたこともなかった。我々は、その時代は国民のため、陛下のためと思って、戦っていたもんですから。
みんな、国家のため陛下のために、何とかして日本が潰れないようにと。一生懸命に戦ったのが、そういう風なことはちょっとね……」
NHKの番組は、戦争の悲惨さに焦点を合わせたものでした。土田さんは、この番組に出演して同島での戦いについて証言しています。しかし、講演で語られたような戦いへの見方を、番組は取り上げなかったことが伺えます。
「祖国への愛」を語った中川大佐の霊
天皇陛下のパラオ御行啓に先立ち、大川隆法・幸福の科学グループ総裁は3月、ペリリュー島守備隊長の中川州男大佐の霊言を収録しました。中川大佐の霊は、数少ない兵力の日本軍が士気を保てた理由について「人はねえ、憎しみでもっては戦えないよ。
やっぱり、愛のために戦うのであってねえ、憎しみでアメリカ人を殺せないよ」と語りました。
ペリリュー島で戦った人々の心を支えたのは日本人への愛だった――。戦後70年を迎えた今年、英霊に着せられた汚名をそそぐためにも、日本人は先の大戦への見方を改め、自国の誇りを取り戻すべきです。(山本慧)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『パラオ諸島ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐の霊言』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1435
幸福の科学出版 『公開霊言 東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=955
幸福の科学出版 『明治天皇・昭和天皇の霊言』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=108
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