conscience

my diary

震災の日に思う。

2023年03月11日 | 日記
 東日本大震災の日は、この四国からは、かなり離れているのに、私の勤務先でも少しの揺れを感じ、また、その日は津波警報が遅くまで出ていたことを思い出す。あれから12年経つとのこと。その想い出も早くも薄ぼんやりとしてきて、28年前の阪神淡路の地震の時の記憶なども、その時、自宅にいて、かなりの揺れを感じ、テレビをつけたものの、あれだけの被害が発生しているという情報が直ぐには無かったように思ったのに、時間がたった後でニュースを見ると、例えば、横倒しになった阪神高速道路を前日に妻がバスに乗って通っていたということもあったが、それも、いつか記憶の底になってしまうのだろう。
 ところで、東南海大地震が発生する可能性が強いと言われてから、既に数十年が経過するが、一向に大地震も津波も発生していない。30年以内の発生確率が60%以上とか70%以上とか言われつつも、既に30年以上となる。勿論、そんな大地震が発生すれば、平野部の多い徳島市内なども水浸しとなり、二階でも浸水する可能性もあるだろうし、そうなれば、電気、水なども途絶し、例え、一週間分の水・食料を自宅に備蓄していようが、それで足りるという保証もなかろう。公による救援もあるかどうかはわからない。また、例え、命が助かったとしても、そうなれば、日本の経済的大動脈が甚大な被害を受ける訳だから、多数の国民が経済的な窮乏に陥ることとなるだろう。レジリエンスということが言われているが、我が国の政府に、そんな大災害とその後の復興を考慮に入れた備えがあるとは到底思えない。そして、少子化の進む我が国にあっては、そのことが、没落国家となる最後の後押しをするだろうということは容易に想像出来るのではなかろうか。後は、野となれ山となれということでは、日本列島から、愈々人はいなくなるだけだろう。
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