Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

厭きれた国家の言論統制

2014-11-28 11:31:57 | 旅の写真

産経新聞・加藤達也、前ソウル局長への在宅起訴、

  
朴槿恵大統領の名誉を毀損したと言う理由のようだ。1回目の公判準備手続きで、
加藤前支局長は意見陳述し、名誉毀損についてハッキリと否定した。
名誉棄損されたと言う、朴大統領、自身がこの起訴による、被害者としての考え
方が、明らかにされていない。
朴大統領自身の問題となっている、支局長のコラムについて、
どの様に考えているかと言う事だ、大統領自身このコラムにより、本気で
「外国のメディア(産経)加藤達也、前ソウル局長」に、名誉毀損されたと
思っているのだろうか、


自国(韓国)メディアの報道には触れず、この問題私自身がこの告発したんじゃ
ないとでも思っているのだろうか、

伊斗鉉報道主席秘書官
だが、8月上旬大統領府の、伊斗鉉報道主席秘書官は、コラムに対する朴大統領の
見解として、「民事、刑事上の責任を最後まで問う」と表明したが、この大統領府の、
伊斗鉉の報道は、国家の一機関の見解にすぎない。この件で、今問題となっている
のは、大統領府ではない、朴大統領個人に対し、名誉毀損されたと言う事では
ないのか、
ならば、大統領自身、韓国国民と、全てのメディアに向け、その告発に対し、
何を持って名誉毀損されたと、説明するべき事だろう。


他人事じゃなく、自分が名誉毀損されたと言うのなら、世界に向け堂々と話せばよい。
「韓国憲法21条にある通り、虚偽によって他人の名誉を侵害する自由はない」と
主張しているが、これも当たり前の事で虚偽によって、言論、出版の自由を曲げて
まで、虚偽の報道は、絶対あってはならない事だろう。

「報道の自由」を理由に、何を書いても、何を報道しても、良いと言う事では
ないだろう。
民主主義の国家で、言論、出版、報道の自由には、それだけの責任がともなうのは、
誰が考えても当たり前の事である。
日本を含め、多くに国では、個人が、名誉を毀損されたと思われた時に、被害者
本人の告訴がなければ、起訴できないと言う親告罪を適用しているが、
この問題の不幸な出来事、本人が名誉を毀損されたと、感じていないことでも、
韓国の法律では、第三者が、本人の了解なしでも、名誉毀損で告発出来る事から
起きた事件だろう。
ソウル中央地検は、朴大統領を誹謗する目的で虚偽事実を広めたと在宅起訴したが。
この起訴、第三者の、反日団体から出された告発がなされた事からだ。

韓国の非常識

被害者本人が、名誉を棄損されたと言わなくても、第三者が本人の了解なしでも、
名誉毀損で、告発できる事から起きる法律の存在だ。
韓国でも、裁判所敷地内で示威行為は禁止しているが、保守系団体メンバーを
傍聴席に入れる非常識さ。
外国人記者を法廷に立たせ、名誉棄損の罪に問うと言う異例の裁判。
保守系団体のメンバー
地裁の法廷では、保守系団体のメンバーらは、傍聴席に入り「韓国国民に謝れ、
加藤を拘束しせよ」とか、法廷で非難のプラカードを掲げるなど許している、
厭きれた韓国法廷だ。

  
韓国の裁判所、どうなってんの、地裁を出ようとする、加藤氏の乗る車を取り囲み
複数の卵をフロントガラスに投げるだけでは飽きたらず、ボンネットに横たわるなど
して通行を妨害、車体には「謝罪」を迫る紙を車体に張るなど、厭きれた韓国国民の、
醜態を見せつけた。これでも韓国国民は、民主国家と胸を張って言えるのだろうか。

 
反日を掲げ、中国の傀儡となった、韓国朴政権これ以上、世界に恥晒す事はないだろう。

 
この報道問題、朴大統領、自ら報道の前で、「加藤達也、前ソウル局長」に対し、
名誉毀損されたと思っているのか、明確に表明すべきではないだろうか。
この告訴問題、韓国の法、「名誉毀損では、朴大統領が処罰を望まない、意志を
示した場合」、裁判所は控訴を棄却し、公判は終結する事になるようだ。
この問題、「民主国家として最も尊重されるべき、報道と表現の自由を考える」と、
極めて遺憾な韓国の対応を国際世論から見ても、、早期の解決が望まれるのでは
ないだろうか。
それだけに、韓国の大統領・朴槿恵大統領の常識的ある、決断次第だろう。





天草

2010-01-06 16:14:01 | 旅の写真
天草の 概略
  

大矢野島、上島、下島を中心に大小120余りの島々が散在する天草。
1966年20万島民の悲願であった本土と島が5つの橋で結ばれた。
天草パールラインと命名されロマンの島も身近に観光できるように
なったのである。
しかし、この美しい風土の背景には天草四郎をはじめとするキリシタン悲哀の
歴史が秘められている。
寛永14年(1637年)10月の幕府のキリシタン禁止令により多くの
殉教者がでた。ここ天草や島原でも農民がキリシタン弾圧と過酷な年貢の
とりたてに蜂起し戦いをおこした。
これが「天草・島原の戦い」である。大矢野島で生まれた天草四郎は、
「天草・島原の戦い」で農民側の盟主として幕府軍と戦った。
このとき四郎はわずか16歳の美少年であった。ここでは数々の伝説に
包まれた天草四郎の真の姿と天草のキリシタンの歴史や「天草・島原の戦い」
の関連資料を展示しジオラマや立体映像で紹介されている。

天草の橋
    
  
   
大小120余りの島からなる天草。キリシタンの島として知られ豊かな自然に恵まれた島である。1966年20万島民の悲願であった本土と島が5つの橋で結ばれた。天草パールラインと命名されロマンの島も身近に観光できるようになったのである

大江天主堂

島原の乱で島原のキリシタンは全滅したと思われていたが、この大江地区では隠れキリシタンとして信仰を守り続けていた。大江天主堂は丘の上に建つロマネスク様式の白亜の堂が美しい天主堂です。

崎津天主堂
 
崎津は小さな港町で大江と同様に隠れキリシタンの里であった。波静かな羊角湾のほとりに高い尖塔が建っている。この教会が建てられたのは永録12年(1569年)で、天草におけるキリスト教はここを中心に栄えた。


水前寺公園

2010-01-06 15:21:23 | 旅の写真
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)通称は水前寺公園。
大名庭園。面積約7万3千平方メートル。

   
肥後細川藩初代忠利公が鷹狩の砌(みぎり)渾々と豊富な阿蘇伏流水の清水が
湧くこの地を殊の外お気に召され、御茶屋として作事されたのが始まりです。
後、綱利公の代に大規模な作庭がなされ、築山や浮石、芝生、松などの植木で
東海道五十三次の景勝を模し、池を中心にした桃山式の優美な回遊式庭園が
完成、陶淵明の詩(帰去来辞)より成趣園と命名されました。
華やかな元禄時代には東屋も沢山あり、成趣園十景を選んで楽しまれました。
重賢公の代、宝暦の改革で建物は酔月亭一つを残して撤去され、
樹木も松だけの質素なものとなりました。護久公の代には版籍奉還で
一時官有地となりましたが明治11年10月7日、成趣園を境内地として
細川藤孝公・忠興公以下歴代藩主を祀る出水神社が創建され,
今日に至っています。

熊本城

2010-01-06 14:44:31 | 旅の写真
熊本城

    
現在の熊本市本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。
中世に千葉城隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて
加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。
日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる
石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、
一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。

阿蘇

2010-01-06 13:41:13 | 旅の写真
阿蘇山

世界最大級のカルデラを誇る阿蘇山。
そのカルデラ内は、噴煙をあげる中央火口丘のほか、 山中の各所に湧く温泉、
白川・黒川がつくり出す渓谷美、外輪山麓にひろがる高原地帯など、
自然の景趣に恵まれ、 大部分の地域が阿蘇国立公園に含まれている。

中岳火口

白い煙を吐いて今なお噴火活動をしている中岳第一火口。その周辺には溶岩がごろつき美しい緑もない別世界が広がっています。直径600M深さ130Mで火口からでる溶岩の温度は1,000~1,200度C。

大観峰
  

阿蘇五岳の絶景スポット標高936mに位置する北外輪山の展望所。
眼下に阿蘇谷、その向こうに阿蘇五岳が望める。
通称阿蘇山とはこの五岳のことを指す。晩秋の早朝には条件が揃うと“雲海”を
みることができる
明治の文豪、徳富蘇峰が名付親・五岳(涅槃像)展望の最高のポイントで
蘇峰の他吉井勇、高浜虚子の歌碑も立っている。

黒川温泉
    
自然美の中に現れる統一された町並みと、素朴な景観に行ってみたい
温泉地として、名を挙げる人も多い黒川温泉。
年間およそ40万人、日帰り客を含めれば約90万人にも及ぶという、
予約するのも大変な、全国指折りの人気温泉地は、20軒近くの温泉宿が佇む。
ポツリポツリと立ち昇る湯けむり、幾重にも分かれる小径には、
食事処やお土産店が軒を連ね、懐かしの看板などもを目にし、
入湯手形を胸に掛けて、浴衣姿でそぞろ歩く人々の行く手には、
風情溢れる露天風呂、黒川温泉が脚光を浴びるようになった背景には、
この「入湯手形」の存在が大きい。
各旅館の湯めぐりが楽しめるこの手形を持って、
まずは温泉の、はしごから黒川温泉を知ることにしよう。
下の写真は黒川の宿(ポイントすると)
夢龍胆 帆山亭 藤もと 天河山 瑞雲荘 山河 山しのぶ 三菱高原ホテル 玄河 花風月 奥の湯 壱の井