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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 103

2013年09月02日 | 日記


「彼ら(十四万四千)は大きな患難をとおってきた人たちであって」、国が始まって以来かつてなかったほどの悩みの時を通ってきた。彼らは、ヤコブの悩みの時の苦しみに耐えた。彼らは、神の最後の刑罰がくだる中を、仲保者なしで立った(各時代の大争闘下巻430-431ページ)。

 

今、少ししか信仰を働かせていない者は、サタンの欺瞞の力と良心を強制する法令の下に屈してしまう危険が多分にある。そして、たとい彼らが試練に耐え得ても、常に神に信頼する習慣を養ってこなかったために、悩みの時には、さらに大きな苦難と苦悩に陥ることであろう。彼らは、自分たちが学ぶことを怠っていた信仰の教訓を、恐るべき失望のもとにあって学ばなければならなくなる。

 われわれは今、神の約束を試すことによって、神をよく知らなければならない。天使は心からの熱心な祈りをすべて記録している。われわれは、神との交わりを怠るよりも、利己的な満足を求めることをやめるべきである。神の是認の下にある最低の貧困、最大の自己犠牲は、是認のない富、栄誉、安楽、友情にまさっている。われわれは、時間をかけて祈らなければならない。もしわれわれが世俗のことに心を奪われているならば、主は、金、家屋、肥えた土地などの偶像を、われわれから取り去ることによって、われわれに時間をお与えになるかもしれない(各時代の大争闘下巻395-396ページ)。

 

 新生への道 : 悔い改め 9

 もし、自分が罪深いことに気づいたなら、自分でよくしようと思って待ってはなりません。自分はキリストのもとに行くにはふさわしくない、と思っている人がなんと多いことでしょう。自分の力で良くなれるとでも思っているのでしょうか。「エチオピヤびとはその皮膚を変えることができようか。ひょうはその斑点を変えることができようか。もしそれができるならば、悪に慣れたあなたがたも善を行うことができる」(エレミヤ書13:23)とあります。私たちを助けてくださるのは神のみです。もっと強い確信、もっといい機会、あるいは、もっと清められた性質を持つまで、などと待ってはなりません。私たちは自分の力では何もできないのですから、ありのままでキリストのもとに行くほかはないのです。

 しかし、神は愛と恵みに富んでおられるからといって、その恵みを拒む者まで救ってくださると思い、自らを欺いてはいなりません。罪がいかに恐るべきものであるかは、十字架の光に照らされてはじめてわかるのです。神は憐れみ深いお方なので罪人をお捨てにはならないと説く人は、カルバリーの十字架を見るべきです。というのは人の救われる方法、つまり人類が汚れた罪の力から逃れ、聖い者との交わりに立ち帰り、再び霊的生活にあずかる者となるには、キリストご自身が不従順の罪を負い、罪人の代わりにお苦しみになるよりほかに方法がなかったのです。神のみ子の愛と苦難と死はみな、罪がいかに恐ろしいものであるかを明らかにし、キリストに心を全く任せるよりほかには、その罪の力から逃れることも、向上した生活への希望もないことを明らかにしています。