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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 119

2013年09月22日 | 日記

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 福音の道しるべ 119

 さらに、ヤコブの悩みの直後に、特別な復活が起こる。

「かちどきや、あざけりや、のろいの声をあげながら、悪人たちの群れが、今にもそのえじきに飛びかかろうとするそのとき、見よ、夜の暗黒以上の深いやみが、地をおおうのである。続いて、神のみ座からの栄光に輝くにじが天にかかり、祈っているどの群れをも取り囲むように見える。怒り狂った群衆が、急に引き止められる。・・・この怒ったような天のまん中に、一か所言うに言われぬ栄光に満ちた澄んだ空間があって、そこから神のみ声が、多くの水の音のように聞こえてきて、「事はすでに成った」と告げるのである。

その声が天と地とを震動させる。大地震が起こる。「それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった」。・・・牢獄の壁は砕けて落ち、信仰のためにつながれていた神の民が解放される。

 墓が開かれる。「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りない恥辱を受ける者もあるでしょう」。第三天使の使命を信じて死んだ者はみな、栄化されて墓から現れ、神がご自分の律法を守った者たちと結ばれる平和の契約を聞くのである」(各時代の大争闘下巻413-415ページ)。

 上の引用文から、特別な復活の前に、聖徒たちがヤコブの悩みの時を通過することは明らかである。かつてないほどの悩みの時を通るのが十四万四千であるとすれば、特別な復活でよみがえる人たちが、十四万四千にどうして含まれるだろうか?特別な復活にあずかる人たちは、栄化された肉体をもってよみがえる。すでに不死の体を身に付けた人が、ヤコブの悩みを経験する必要があるのだろうか?


     新生への道 6 信仰と受容 ①

 聖霊によって私たちの良心が目覚めると、罪がいかに忌まわしく、罪の力、罪のとが、また罪からくる災いがどんなものであるかがいくらか分かってきて、罪を憎むようになります。罪が自分を神から引き離してしまい、自分が悪の力の奴隷になっていることに気づくのです。逃れようと、もがけばもがくほど、自分の力なさを感じます。動機は不純で心は不潔で、自分の生活は全く利己心と罪ばかりであることを知り、何とかしてゆるされ清められて、自由になりたいと望むのです。神と調和し、神に似るにはいったい何をすればよいのでしょうか。

 あなたに必要なものは平和です。つまり天のゆるしと平和と愛を心にいただくことです。それは、金で買うことも知識で達することも、また知恵で手に入れることもできません。自分の力では絶対に手に入れることは望めないのです。けれども神は、これを「金を出さずに、ただで・・・買い求」(イザヤ:55:1)めることのできる賜物として与えられるのですから、ただ手をのばしてそれをつかみさえすれば自分のものとなるのです。主は、「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ」(イザヤ1:18)。「わたしは新しい心をあなたがたに与え新しい霊をあなたがたの内に授ける」(エゼキエル36:26)と言われます。