福音の道しるべ : 114
「無秩序の精神は、あらゆる国家に浸透し、時々暴動が起こって世界を恐怖に陥れるが、これは閉じ込められた激情と無法の火のあらわれで、一度抑制が除かれると、全地に災禍と荒廃をきたらせることであろう」(人類のあけぼの上巻102ページ)。
四方の風は、自然災害は言うまでもなく、政治的また社会的な激変も表している。四方の風が解き放たれ、最後の災いが始まる時が間近に迫っていることは、疑いの余地がない。
黙示録6章の後半部には、第六の封印が解かれる時代の様子が描かれている。すさまじい自然現象が地を揺るがし、悪人たちは必死になって刑罰を逃れようとする。場面は、「御怒りの大いなる日が、すでに来た。誰がその前に立つことができようか?」との質問で終わっている。それから7章において、この質問の答えとして、十四万四千が登場する。彼らは、大艱難を通過する用意ができ、キリストのご品性を反映する者として印されている。
黙示録7章には、「その日に立ち得る者たち」という見出しをつけるといいかもしれない。後に引用する、「各時代の大争闘」の後ろ盾がなかったとしても、十四万四千が、地上歴史の最終時代に住んでいる人々の中から選出された者たちであることは明らかである。
私たちは、十四万四千についてもっと研究すべきである。「十四万四千の中に入るために、神が我々に与えて下さった力を尽くして努めよう」(SBN578ページ)。十四万四千の目的とは何か?彼らは艱難を耐え抜くだけでなく、神の正義と贖いの力を弁護するという、より大きな使命も果たさなくてはならない。最終時代に生きている者として、十四万四千の目的をさらに追求してみよう。
新生への道 :献身 ②
神は私たちの前に最高の祝福をおいて、恵みによって私たちをそこまで導こうとなさいます。また私たちが彼のみ心を行なうことができるように、自分自身を神にささげるようにと勧めておられます。罪の絆から切り離されて、神の子としての栄えある自由を味わうか否かは、私たちの選択にかかっています。
神に自己をささげるには、私たちを神から引き離すものをすべて捨てなければなりません。ですから、「あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない」(ルカ14:33)と救い主は言われたのです。たとえ、どんなものであっても神から心を引き離すようなものは捨てなければなりません。多くの人は富を偶像にしています。金銭を愛し富を追及することは、彼らと悪魔をつなぐ黄金の鎖となるのです。ある人々は名声や世的な栄誉を神としています。また、何の責任も負わず、利己的で安楽な生活を偶像にしている人もいます。けれども、こうした奴隷の絆は断ち切らなければなりません。私たちは、なかば神に、なかば世につくことはできません。全く神のものでなければ神の子ではないのです。