福音の道しるべ 124
「ヨハネはシオンの山の小羊と、額に小羊の父の名が記されている十四万四千が小羊と共にいるのを見た。彼らは天の印を帯びていた。彼らは神のかたちを反映していた。彼らは聖なるお方の光と栄光で満ちていた。もし我々が、神のかたちとみ名を持ちたければ、我々はすべての悪から離れなければならない。我々はすべての悪しき道を捨て、キリストのみ手に自らを委任しなければならない。・・・なぜ彼らは特別に選ばれたのだろうか。彼らは驚くべき真理をもって、全世界の前に立ち、その反対を受けねばならなかったからである。そして、この反対を受けている間に、彼らは、自分たちのうちに栄光の望みであるキリストを形づくっていただかねばならないこと、自分たちが神の息子、娘であることを覚えていなければならなかった」(SBN587-588ページ)。
「クリスチャン品性の理想は、キリストに似ることである。人の子キリストが、その生涯において完全であられたように、キリストに従う者も、その生涯において完全でなければならない。・・・イエスは、われわれと同じように、肉体をおとりになった。・・・イエスは、人と同じ身分でありながら、しかもきずのない神のみ子であられた。・・・キリストのご品性がわれわれのものとなるのである」(各時代の希望中巻20ページ)。
新生への道 6 信仰と受容 ⑥
神は、人間がお互いを取り扱うように私たちを扱われるようなことはありません。彼は、愛とあわれみといつくしみ豊かな神です。「悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主はゆたかにゆるしを与えられる」(イザヤ55:7)。「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」(イザヤ44:22)と言っておられます
「わたしは何びとの死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」(エゼキエル18:32)。悪魔は、この尊い神からの保証を奪い去り、人の心から希望と光を消し去ろうとしていますが、そうさせてはなりません。試みる者に耳を貸してはなりません。「イエスは私が生きるために死んでくださったのです」と言いましょう。彼は私を愛し、私が滅びるのを喜ばれません。私にはまた愛にあふれる天の父があります。私は、天の父の愛をないがしろにし、せっかく与えられた祝福を無駄にしましたが、立って天の父のみもとに行き「わたしは天に対しても、あなたに向かっても、罪をおかしました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇い人のひとり同様にしてください」と言わなければなりません。このたとえは、さまよい出た者がいかに迎えられるかを次のように語っています。「まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいてせっぷんした」(ルカ15:18~20)。