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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 112

2013年09月11日 | 日記

   

 

     112

   新生への道 :告白 ⑤

 

死せる義人の罪は、彼らが永眠中に消し去られるが、死を見ることなく天に移される者たちは、存命中にそれを経験する。何というすばらしい約束であろう!しかし、この事を実現させるために、私たちは今すべての罪を捨て去らなければならない。

 

われわれが、キリストの贖罪の血を信じることによって、罪を捨て去らなければならないのは、現世においてである。われわれの尊い救い主は、われわれが彼と結合して、われわれの弱さを彼の力に、われわれの無知を彼の知恵に、われわれの無価値さを彼の功績に結びつけるよう招いておられる(各時代の大争闘下巻397ページ)。 

 

天で調査審判が行われ、悔い改めた罪人の罪が聖所から除かれているその間に、地上の神の民の間では、清めの特別な働き、すなわち罪の除去が行われなければならない。・・・この働きが成し遂げられると、キリストの弟子たちは、主の再臨を迎える準備ができるのである(各時代の大争闘下巻141ページ)。

   新生への道 : 告白 ⑤

神のみ言葉には、悔い改めと謙遜の実例があげられていますが、そこには罪の言いわけをしたり、自分を正しいとするようなことが少しもない、真心からの告白の精神が見られます。パウロは、自分を弁護することなく、自分の罪をその恐ろしいままに描き、罪をいくらかでも軽くしようなどとは考えませんでした。彼は、次のように言っています。「多くの聖徒たちを獄に閉じ込め、彼らが殺される時には、それに賛成の意を表しました。それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすにいたりました」(使徒行伝26:10、11)。また、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきてくださった』……わたしは、その罪人のかしらなのである」(Ⅰテモテ1:15)と言ってはばからなかったのです。

真に悔い改め、謙遜になった心は、神の愛のいくぶんかを悟り、カルバリーの十字架の犠牲を心から絶えず感謝するようになります。そして、本当に悔改めたものは、子供が優しい父親に告白するように、神の前に自分の罪をすべてもってきます。み言葉にも「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめてくださる」(Ⅰヨハネ1:9)と記されています。(告白の項終了)

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