ラオデキヤ教会の聖徒たちへのメッセージ 第5回
問題の核心
ラオデキヤ教会にあてられたメッセージを受け入れることは、自分の選択にかかっているという事実を覚えるべきです。私たちは何を悔い改めるべきでしょうか?深い麻痺の状態に陥ったラオデキヤ教会の人々は、罪を犯していることさえも認識できませんでした。彼らは、自分たちが富んでいると思いこみ、何も必要ないと言っている人たちです。生ぬるい温度は人を弛緩させて、後には無気力に陥らせてしまいます。ラオデキヤ教会の人々は、自分たちが絶望的で、失われている状態であると気づいていないのです。
「実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気づいていない」(黙示録3:17)。これが問題の核心です。ラオデキヤ教会は、自分たちの豊かさを誇りながら、自分たちの悲惨な状況を認識できないでいます。これほど神様が、本当の状態に気づくようにと訴えておられるのに、心の根本的な改変もないまま、形式的な礼拝を繰り返し、教会につながって、献金や奉仕をしているから救われるのだという致命的な安心感を持っているのです。自分と神様との間に、決定的な生きたつながりがもたらされなければならないのに、その必要を感じないで、表面的な信仰で満足しているのです。
再臨を待ち望んでおられますか?
ソン・ケムン
第1回
その日は近い!
皆さん、再臨がどのくらい切迫していると、お考えですか? 10年後? 15年後? いや、一生のうちは来ないだろうと、そんな風に考えている方はいないでしょうか? では、 1年後? 2年後? 3年後?
教会のあるグループで、そんな質問をしました。ほとんどの人が2、3年以内、遅くても5年以内だと言いました。皆さんも、それくらいだと考えていますか?
ところで、それほど再臨が近いと口では言いながら、そのように生きていない人々が多いようです。それが本当に信じていることでしょうか?「イエス様は 1年以内に来られると信じます」と言いながら、相変らず世的なことを求め、世の中でうまくやっていくための計画を立てて生きているのではありませんか。
ルターが言ったように、「明日地球が滅亡しても、私はりんごの木を植える」。いいでしょう! 植えなくてはなりません! 何の木を?やがて腐って消えてしまう株や不動産、 修士、博士の学位ではなくて、天の倉を満たされる木を植えなければなりません。天に投資する時間は、もうあまり残っていません。今献身せず、今服従しないことを、後悔する日がすぐ近くに来ているのです。