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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

十字架に対する大きな誤解 第6回

2014年08月24日 | 日記

 

  十字架に対する大きな誤解 第6回

まさに、これらの理由のために、イエス・キリストがこの地へ降りて来られ、十字架にかかり死なれたのです。十字架は、イエス様が私たちの罪の値を身代わりとして贖って下さっただけでなく、さらに重要な意味を持っています。十字架は、神様が利己的なお方ではなく、死に至るまで私たちを愛される真の愛の方であることを証明するものです。十字架を通して、サタンの惑わしによって罪に堕ちた人間が、再び神様のふところに戻れるように道を開いてくださいました。また、神様の戒めは、廃棄することができないものとして、人類の平和と秩序のために守るべきものであることを証明されました。すでに、神様の律法を犯した結果がどんなものかを、過ぎた数千年間のこの世の堕落した姿を通して、はっきりと証明されました。

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 その後、セブンスデー・バプテスト派から、第七日安息日の事を学び、安息日を守るようになりました。また、『黙示録』にある預言、「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」(黙示録 12:17)から、「イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」(黙示録19:10)ことを知り、この「預言の霊」が、エレン・G・ホワイトの著書と働きの中にあることを認めるようになりました。こうして、「女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかし」を持つ民としての、聖なる自覚に目覚め、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」(黙示録10:10)事を、使命として立ち上がりました。

今日、多くの教会が、神様の戒めを守ると言っていますが、第四条の戒めを無視しています。世界に多くの教派がありますが、最終時代に、黙示録が宣言している、真の教会は、「神の戒めを守り、イエスのあかし」を持つ民であり、「神の戒めを守り、イエスの信仰を持つ」(黙示録14:12・欽定訳)人々です。その教会とは、建物や組職や、教団でもなく、「神様の戒めを守り、イエスの信仰を持つ」人々のことです。