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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

ラオデキヤ教会の聖徒たちへのメッセージ 最終回

2014年08月18日 | 日記

  ラオデキヤ教会の聖徒たちへのメッセージ  最終回

真の教会とは、神様の真理に全身全霊で応えようとする人々が集まって礼拝を捧げる所です。二人または三人が、霊とまことをもって集まって祈り、み言葉を読むなら、そこは教会です。全世界にそのような小さな教会が点在するようになるでしょう。それゆえ、サタンは決してすべての教会を倒すことはできません。目に見える数多くの教会が堕落してサタンの側に立ったとしても、「神の戒めとイエスの信仰」を守る者たちは、真の教会としてイエス様の再臨をお迎えすることでしょう。この文を読まれるあなたが、その中におられることを心より願っています。

    再臨を待ち望んでおられますか 第10回

     

    1844年10月22日ウイリアム・ミラーたちが主の再臨を待ったとされる岩


 キリストの弟子たちの大失望

 

このような大失望の経験は、再臨信徒だけではありませんでした。実は、イエス様の弟子たちも、大きな失望を経験したことがありました。それは、イエス様が十字架に架けられて亡くなられた時です。

イエス様が亡くなる前の、最後の1週間、『ゼカリヤ書』 9章にも予言されているように、イエス様は、ロバに乗ってエルサレムに入場されました。ふつうの時は、歩いて行かれたのですが、この時、ろばに乗られたというのは、戦争に出た将軍が勝利して帰って来た時ろばに乗って来るように、イエス様がろばに乗って、旧約聖書に預言されたダビデの王座に座って、王となる宣言をされるのだと、弟子たちは思いました。「見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る」(ゼカリヤ9:9)。イエス様が王になられたら、自分たちは大臣になれる、弟子たちはそう思ったことでしょう。イスラエルの民は、「ホサナ、ホサナ」と叫んでイエス様を歓迎し、讃えました。

ところが、それから1週間もしないうちに、イエス様は十字架に架けられて亡くなってしまわれました。弟子たちは、大きく失望落胆しました。幸福の絶頂から、一気に悲しみのどん底まで落とされてしまいました。どうしてこうなったのでしょうか。数日後には、十字架に架けられるイエス様が、どうして、人々の注目を集めて、勝利の入場をされたのでしょうか。

イエス様は、ご自分の最後を飾る事件に、世界中の関心を集めることを願われました。人々の目を、十字架に集中させるためでした。イエス様が、勝利の入場をされた時、パリサイ人たちは、「世をあげて彼の後を追って行ったではないか」(ヨハネの福音書 12:19)と嘆き、人々は、「町中がこぞって騷ぎ立ち、『これは、いったい、どなただろう』」(マタイ 21:10)と言ったのです。