ラオデキヤ教会の聖徒たちへのメッセージ 第6回
デイビット・カン
もちろん、神様が吐き気をもよおされるこのような状態に対して、悔い改めるように力説する本やメッセージはこれまでにもたくさんありました。しかし、状況はさらに悪化してきています。なぜそうなのでしょうか?なぜなら、悔い改めのメッセージがラオデキヤ教会の人々の注意を引くことができないためです。霊的な目が見えないため、悔い改めに対する訴えさえも、たいした反応を起こしません。彼らは罪を見分ける目を持っていないのです。それゆえ、罪とは何であるかが正しく定義され、説明され、罪に対して明確な理解を持つことが必要です。
罪人として生まれたのだから、罪を犯しながら生きるしかない、というような説明は、彼らをさらなる眠りに誘うことでしょう。漠然と、「罪を捨てよう」とか、「悔い改めよう」などと、説教したり、文書を書いたりすれば、あとの個々の罪は、聖霊が彼らの良心に働きかけ、具体的に教えてくださるだろう、というような、あいまいな考えは捨てるべきです。聖書に出てくる預言者や改革者たちは、そのようにしませんでした。彼らは、大胆に罪を指摘して、指導者と民の罪をはっきり叱責しました。
再臨を待ち望んでおられますか 第2回 ソン・ケムン
今現在、天では、人類に対する調査審判が進行中という事実を、意識しておられるでしょうか?この厳粛な審判について、神様は、ダニエル書 8章の中で、「二千三百の夕と朝の間」という預言の期間を発表されました。この預言的期間について、多くの人が研究しました。 ルターは、300余年後に審判が始まると言いました。ルターが1517年ウィッテンベルグ城教会門に、「95箇条の提題」を貼りつけ、宗教改革ののろしをあげてから、300余年がたてば、1800年代中盤になります。
万有引力を発見した、アイザック・ニュトーン。彼は数学者、 物理学者、天文学者として、近代科学の父という尊称を受けています。26歳でケンブリッジ大学教授となった彼はまた、真実なクリスチャンとして、自分の発見は、ただ広大な真理の大海の前の単なる貝殻の一つにすぎないと言いました。ニュトーンは、自然科学の素晴らしい研究をしましたが、彼も、ダニエル書の「二千三百の夕と朝」預言を数学的に計算して、その期間が、1844年に終わるということを述べました。
このように、多くの人々が、ダニエル書の二千三百の夕朝の預言の終了が1844年であることを結論づけました。私は今日、これを証明することに、時間をさこうとは思っていません。今日は、預言の期間が終了するとされた、1800年代に生きていた人々の話をしたいと思います。今は過去の歴史になってしまいましたが、波乱万丈のその時代を暮らした人々の姿を通して、再臨を待つということが、どのようなことかを考えてみたいと思います。