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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

麦と毒麦(人を救う真の福音とは)第16回 デイビット・カン

2017年02月13日 | 日記

 第4部 間違った福音の根源とその歴史

 1 いつ、どこで、誰が、何を、どうやって、なぜ?

 紀元300年頃から、キリスト教会は深い暗黒時代に突入して、神学的な混乱に陥りました。イエス様の母マリヤによる執り成しの教えなどが広がって、イエス・キリストの救世主としての位置が揺らぎはじめ、さまざまな異教の教えが教会に持ち込まれ、キリストと使徒たちによって教えられていた本来の教えが何であるか分からなくなってきました。色々な学説が出され、激しい論争が繰り返されていきました。教会は多くの会議と決議文を通して、正しい聖書の教えを打ち立てようとしましたが、そのようなものはかえって教会をキリストの単純な福音から遠ざけました。

 そのような神学的名混沌の中から、一人の人物が影響力を持って現れました。彼の名はアウグスティヌスです。彼は当時最も影響力のある神学者で、カトリック教会が持つ神学的な過ちの多くが、彼によって始まり成立しました。悲しいことは彼の教えと神学的な影響力は、今日までキリスト教全体に暗い影を落としているということです。

 2 少年期の思想的影響

 アウグスティヌスは紀元354年、北アフリカで生まれました。彼の母親はクリスチャンで、父親はマニ教徒でした。マニ教は紀元3世紀頃、マニという人によって成立しましたが、この宗教は、古代ペルシアの宗教である拝火教(ゾロアスター教)の流れをくみ、光と闇(善と悪)の対立を強調しました。つまり、善と悪が両方とも人間の生涯を治めるので、人は皆悪を行なって生きるしかないという教えを持っていました。そのため、この教えを受け入れた人は、自分の犯した罪に対して自己正当化したり、言い訳のできる論理的根拠を持つようになったのです。

 アウグスティヌスは、このような異端的な信仰背景を持つ父親のもとで成長しましたが、30歳の頃、イタリアのミラノでキリスト教を受け入れました。しかしアウグスティヌスは、クリスチャンになった後も、幼い時に受けた異教徒的な概念を頭の中から消すことが出来ませんでした。小さい頃、心に根をおろした思想が、後の神学的な思想にも大きく影響を及ぼしたのです。その一つである「人間は決して罪に勝つことは出来ない」というアウグスティヌスの神学的な見解は、アウグスティヌス以後700年余りの間受け継がれ、ほとんどの聖職者や神学者を教育する支配的な思想となりました。