8 過ちから過ちへ
この原罪説はもうひとつの疑問を引き起こします。「どうすれば原罪に対する罪責感から逃れることができるか」という問題です。この質問に対する教会の答えは「『洗礼』と呼ばれる儀式によって原罪の定罪から逃れることができる」でした。この教会の答弁に対して、もうひとつの質問が起きます。「洗礼を受けない者たちの運命はどうなるのか?」ということです。これに対しての答弁は「洗礼を受けていない人は、永遠に燃える地獄の火の海に落ちる」でした。考えてみてください。洗礼を受ける前に亡くなってしまった子どもたちの親にとって、教会の答弁は大変衝撃的なものだったに違いありません。中世は幼児の死亡率がたいへん高かった時代でした。自分たちの子供が、永遠の地獄の火の海で苦しんでいることを想像する〔純粋ではあっても無知な〕親たちの苦悩は耐え難いものであったに違いありません。
そのために教会は、さらに親たちの苦悩を取り除く、説得力のある解決策を用意しなければなりませんでした。そこで「煉獄」と「リンボ(Limbo):辺獄」という奇想天外な概念が作られました。煉獄は天国でもなく地獄でもありません。それは天国と地獄の中間に位置するところで、リンボは天国ではありませんが、錬獄や地獄のように燃え続ける苦痛はないところです。教会はこの錬獄とリンボを信徒に提示することで、彼らの心を慰めようと努めたのでした。
しかし教会の提示するこの解決策では、子供を亡くした親のつらい心境を完全に慰めることは出来ませんでした。そこでとうとう「幼児洗礼」という儀式が作り出されました。出産の苦痛の中で母子ともに死に瀕している中、神父が赤ちゃんと母親に水をまきながら、二人とも天国に行くことができると宣言する幼児洗礼は、信徒の要求を完全に満足させるものでした。このようにして、一人の神学者の間違った思想が、さらなる過ちに発展し、しまいにはその過ちが教会の正式な教理として採択されるに至りました。
トマス・アクィナスなどの神学者によって、アウグスティヌスの理論はしばらく足踏み状態でした。そして16世紀に宗教改革が起こり、改革者たちが教会の腐敗と過ちに対抗しましたが、千年におよぶ根深い過ちを根こそぎ取り除くには限界がありました。カトリック教会に対抗して、宗教改革運動が展開されましたが、アウグスティヌスの理論は、プロテスタント教会の内部にまで居座ってしまったのです。