口で、「愛します」と言ったりするだけでは十分ではありません。神様への本当の愛の証拠は従順なのです。そういう意味では、最近自動車の後に貼ってあるステッカなどーは、浅はかな愛についての観念をあらわしています。「あなたがイエス様を愛するなら、笑顔を浮かべてください」。「もし、あなたがイエス様を愛するなら、手を振ってください」等々。しかし、私たちの主は、どのように語っておられますか?「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」(ヨハネ14:15)。
ところでこのみ言葉は、多くの人たちから歓迎されていません。愛が、微笑みと手を振ること以上の事を要求しない時には、人々は愛を歓迎しますが、それが生活全体を揺り動かして全面的な服従を要求する時には、大多数の人が拒むのです。
不幸にも、今日のほとんどの人々は真理を求めていません。彼らは気軽に平安を与える宗教、つまり、自分たちの生活を変えることなく、好きなことをしながら救いの確信を与えてくれる宗教を求めているのです。しかしそのようなものは、真のキリスト教信仰ではありません。この問題に対する最も強力な聖書の言葉の一つは、ヨハネ第一手紙2章4節です。「『彼を知っている』と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない」。ヨハネがそのような確信を記録できたことは、それが聖書で最も重要で確実な真理の一つだからです。
イエス様は、「主よ、主よ」と言っていながら、父の御心に従って生きていない者たちに対して語られました。多くの人が、キリストの名によって奇跡を行ったことを功績にして、天国へ入りたいと懇願するようになると言われました。そのようなクリスチャンたちに向かって、主は悲しみながら次のように語られるのです。「その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』」(マタイ7:22、23)。