キリストの神性と人性に関して、初期の教会には大きく分けると二つの理解がありました。人性を強調するグループと神性を強調するグループです。そして人性を強調する人たちの中にも、アンティオキア学派と、非常に強く人性を強調するエビオン主義(キリストは神格化された人間だとか、単に預言者の一人とする立場)があり、神性を強調するグループにも、アレクサンドリア学派と、あまりにも神聖を強調する仮現主義(ドケティズム、キリストが肉体で来られたことを否定する)がありました。
アレクサンドリア出身の、バシリデス(Basilides、活動時期117-138)は仮現主義の創始者として、事実上ドケティズムを一番先に紹介した人物です。彼は「キリストは苦難を受けないで、クレネ出身のシモンがキリストのために十字架を背負って行くように強要され、その瞬間、シモンは、キリストの姿を持ち、兵士たちはシモンをキリストと思って十字架につけた。 そしてイエス自身はクレネ人シモンの姿を取ってそこにいて、その事実を知らない人たちをあざ笑った」と言いました。このような非聖書的な主張が教会に与えた害悪は全てを紹介できませんが、逆説的にこのような論理に反対するため、キリスト教神学は発展することになりました。
前の質問に戻って、「キリストが神様なら彼の本性は人間か神か?」という問題は依然として解決すべき課題でした。 ニケア公会議後、依然としてキリストの神性に対する意見が分かれていた当時、アポリナリウス(310-390)は352年に人の形で来られた神様(単一神性)を強調しましたが、360年アンティオキア学派とカッパドキア教父から仮現主義だと宣告され、その後、381年アンティオキア公会議で三位一体が完成されたとき、アポリナリウスは異端だと弾劾されました。
アポリナリウスはイエス様の単一神性を強調し、異端となりましたが、コンスタンティノポリスの総主教だったネストリウス(Nestorius)は、単一神性や、単一人性を強調すれば異端になるため、キリストは神性と人性の二つの本性をもっているという養成論を提起しました。その理由は、当時、「マリヤは神様の母親か? 人間の母親か?」という論争が起き、神性を強調するグループは神の母だと主張し、人間性を強調するグループは人間の母だと主張しました。そこでネストリウスは神性と人性が混合されない二つの本性に区別されて存在すると主張し、マリヤは神様の母親でもなく、人間の母でもない"キリストの母"(Christotokos)という理論を主張しました。
この見解は431年エペソ宗教会議で当事者のいない状態で異端(養成論者として)と決め付けられました。しかし当事者が出席していない状態で一方的に断罪した異例の会議だったため、ローマ教会監督のシックストゥースは、ネストリウス不在で開催されたエペソ会議は公正ではないので修正しなければならないと提案しました。そのため、人性を強調するアンティオキア学派と神性を強調するアレクサンドリア学派が連合して信条を作るよう要請し≪連合信条≫を作成することになります。しかし、この信条は二学派とも納得できる内容ではありませんでした。