試練とは何か
≪□○×クイズ≫ ではイエス様がどんな人として来られたのか想像してみましょう。
写真を見ると、子供のイエス様が頭に何かを乗せて歩いていくのを、友達がからかっています。イエス様はその中で黙って歩いています。
次の絵は、幼いイエス様が父親を助けて大工の仕事をしています。
イエス様の幼年時代を考えてみましょう。
質問をします。
①.子供のイエス様は「聖なる者」だったので(ルカ1:35)ほかの子供のように駄々をこねたり、いらだったりするような誘惑を受けなかった。 ○ですか×ですか?
質問を変えてみます。
②.子供であったイエス様は「聖なる者」だったので普通の子供たちのように駄々をこねたり、いらだったりするような誘惑が来たとき、神様に祈ったり賛美したりして誘惑を乗り越えられた。 ○ですか×ですか?
多くの人が、キリストは神様の子だから今の子供たちのような誘惑は受けられなかったと思うかもしれません。もちろん、イエス様がテレビの前に座ってアニメを見ることはなかったですね。また、ネットカフェに行ってゲームに陥る誘惑もありませんでした。
いつか私が、イエス様は現代の子供たちと同様に試練を受けたと話したら、当時はゲームのようなものはなかったから同じ試練は受けなかったと言われました。人は信じたくなければ本当に幼稚になるようです。
すべての試練は、私たちの意志を神様に屈服させるか、サタンに屈服させるかという問題です。結局、誰にひれ伏すかという問題です。聖書はイエス様があらゆる面で、幼い時から血気盛んな青年時代まで、 私たちと同様の試練を受けられたと言います。
世界を創造された神様が、母の膝に座って聖書や自然について学ばれました。
「お母さんここにきれいに糸を張っているものは何ですか?」「それはクモというのよ」。