罪から逃れる道 第12回
この第1ペテロ4章12節~14節でペテロは、どのような人にとって罪が終わるのか、罪から逃れるのか、罪が止められるのかを明らかに説明しているんです。
「愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである」。
ここを見てみると、いろいろな試み、火のような試練が来るとあるんですけれど、その中において苦しむのですけれど、苦しみにも種類があるということを言っているんですね。私たちが何か過ちを犯したり、何か罪を犯したり、また罪に陥ったり、私自身の問題によっていろいろな人間関係がこじれたり、そのようなことを肉における苦しみだと言ってはいけないんですね。クリスチャンであることのゆえに苦しみにあずかるときにイエス様の苦しみにあずかる、そのことについてここに書いてあるんですね。第1ペテロ4章13節から14節をもう一度読んでみます。
「むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである」。ここで明らかに述べていますね。私たちの受けるべき苦しみは、キリストの御名のゆえの苦しみです。私たちはキリストの栄光が現れる時に、喜びにあふれるために、イエス様の苦しみにあずかるべきなのです。