十字架に対する大きな誤解 第151回
さらに進んで、悪魔は神様を利己的な方であると告訴しました。その事実は、『創世記』3章で発見できます。サタンは、アダムとエバがその禁断の実を食べると、目が開けて神様のようになると言い、それを神様は知っているので、食べないように禁じられたのだと偽りを言いました。そして、神様は利己的な方だから、善悪を知る木を食べないようにされたのだと言ったのです。そのような欺瞞に、人類の先祖はすぐにだまされてしまいました。
彼らの不従順が、この世界をこのような破滅へと引きずり込んだのです。それゆえ人間が再び回復され、全人類がエデンの園へ、神様のもとへと戻る道は、もう一度、神様を愛し尊敬し、その律法を尊重して従順な者になる事です。
ところで、堕落した人間は、もはや自分の力では、戒めにしたがうことが不可能となりました。なぜなら、その心が悪に染まり、不従順に慣れてしまったからです。
「なぜなら、肉の思いは神に適するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである」(ローマ8:7)。
それゆえ神様は、サタンによって告訴された、ふたつの問題を、全宇宙に対して明らかにしようとされました。ひとつは、神様は利己的な方ではなく、人類の平和と永久の幸福を願われる大いなる存在であることです。ふたつめは、神様の戒めは、宇宙の秩序と平和のために大切なもので、神様の愛情の表現であるゆえに、もしそれを無視して壊せば、世界には破滅と悲しみがもたらされる事です。
再臨を待ち望んでおられますか 第15回
新しい再臨運動の始まり
再臨運動の前に、ヨーロッパの各プロテスタント教徒たちが、カトリックの迫害を避けるために、一斉にどこに移民しましたか?アメリカです。アメリカにすべての教会が集まりました。そうして、再臨運動が起きると、そのすべての教会から人々が集まり、超教派運動となりました。大失望を経験した後、残りの人々が、各教派の聖書的な真理を集めて、これを一つにまとめていきました。
そして、カルバンの教えからは、〈行いで救われるのでなく信仰によって救われる〉という教えと、罪人を救う絶対的な <神様の主権>を聖書的な真理と認める同時に、メソジスト教会のジョン・ウエスレーが、カルバンの予定説に対抗して提示した <自由意志>と <聖化-クリスチャンの清い生活>を受け入れ、また、ルター派の核心である万人祭司説(ローマ 5:17)、すなわちカトリックの祭司への懺悔は非聖書的とし、すべての人は神様にキリストのみ名で直接祈ることができるという事実。滴礼ではなく水に沈めるバプテスマが聖書的であるという事、会衆派清教徒が主張した <政治と教会は分離しなければならない>こと、 再洗礼派の改革の遺産である、〈人は死ぬと直ちに天国と地獄に行くのではなく、無意識(眠り)の状態であり、キリスト再臨の時復活する〉という<復活信仰>を受け入れ、メノナイト再洗礼派の、〈人間の身体は神の宮である〉という立場から、節制を守る生活を実行するようになりました。こうして、ルター以来、プロテスタント各教派にバラバラに散らばっていた真理の全体系が、一つにまとめられたのです。それは、鎖が切れてバラバラになっていた真珠を、もう一度つなぎ合わせて、一つのネックレスにするようなものでした。