2、古い契約は十戒ではなかった!
聖書には廃された古い契約のことが書かれています。では、十戒がその廃された契約でしょうか?私たちは、廃された契約の中には、十戒が含まれていないという事実を証明してくれる3つの点を学ぶ必要があります。その次に、古い契約が何であったのかを、聖句を対照しながら注意して調べてみましょう。
① まず初めに、私たちは古い契約の中には、何かの貧弱な面があった事実を見る事が出来ます。ヘブル人への手紙8章の聖句にあったように、新しい契約は「さらにまさった契約」として立てられました。さてそれでは、十戒の中でどれか貧弱な約束を見つけることができるでしょうか?そのようなことは出来ません!むしろへブル人への手紙の著者であるパウロは、それらがとても良いものであることをエペソ人への手紙で語っています。「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。『あなたの父と母とを敬え』。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、『そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう』」(エペソ6:1~3)。「古い契約に欠けがあった」ことを記録したへブル書の著者が、道徳律である十戒を、必要でないため廃されたと説明しないで、むしろ「幸福になる約束のついた正しい戒め」として推奨しているのです。これをみれば、十戒そのものにはどんな欠陥もない事が証明されます。
② 古い契約に対する誤った理解の二番目は、「古い契約には欠陥があった」という言葉についての誤解です。聖書は「もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう」(へブル8:7)と言っていますが、質問を一つします。神様がご自身の指でお書きになった十戒に、どんな欠陥や過ちがあるでしょうか。探し出した人がいますか?詩篇記者の言葉を覚えていますか?「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする」(詩篇19:7)。パウロが書き記したことは「律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである」(ローマ7:12)ということです。
十戒に対するこのような聖句の中に、何か軟弱で不完全さを意味することが見えるでしょうか?ある法が完全であるなら、その法にはどんな欠陥もあり得ません。とするなら、今や欠陥のある古い契約とは、十戒そのものではないことが、明らかになってきます。
③ 最後に、私たちは古い契約が何であるかを明確にする、最も端的な説明を聖書から読むことが出来ます。それは古い契約が廃止されたということです!「神は、『新しい』と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく」(へブル8:13)。
私たちはこの問題を終結させる重要な質問を考えてみましょう。偉大な道徳律である十戒そのものが『消えて』いきましたか?決してそうではないという事実をパウロは証明しています。「すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである」(ローマ3:31)。
これは、聖書自体が矛盾したことを書いているのでしょうか?消えて行きながら、同時に確立されるものがありますか?同じ著者が、同じ律法に対して相反する言葉を記したのでしょうか?ここで一つ明白な事は、パウロが古い契約のことを、「律法」とは言わなかった点です。
ローマ人への手紙3章31節の聖句で、「律法」の代わりに「十戒」という言葉を入れて読んでみてください。「すると、信仰のゆえにわたしたちは〈十戒〉を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって〈十戒〉を確立するのである」。これはパウロが言った言葉で、律法である十戒が消えてしまったとは言っていません。そこで私たちは、ヘブル書にある、消えてしまった古い契約とは、十戒を指しているのではない事を明白に知る事ができるのです。