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ひまわりさんより(8月13日)
今日の日課の言葉をご紹介します。「キリストに従う者たちが、
人間ではあるけれども神の性質にあずかる者であることを示すとき、キリストはおよろこびになる。
…彼らは自分たちを照らしている光を、キリストの愛に輝いている働きを通して、他人に反射する」
「光の子らしく歩きなさい」と聖書にありますが、光の子になるというと、自分で光を輝かさなければならない、
と思っていたのですが、そうではなく、イエス様の光を反射するのだということを感じました。
自分の中に、全く光がないということを気付かされた時、自分たちを照らしている光を反射する、
ということがすごくよくわかってきたように思います。
神の公平な裁き(デビット・カン講演19)
彼を救うという、神様の審判は正しいものであること、そのことを証明なさりたいわけですね。
そのことを、神様は証明しなければいけないのです。全宇宙に対して、神様の裁きは開かれています。
なぜなら、サタンが神様を訴えたからです。
そのために、宇宙のすべての人に神様の義を証明するために、神様はこの裁きをオープンにされたのです。
天で、私たちの名前が呼ばれるときに、調査が始まるわけではありません。
名前が呼ばれるときには、皆さんの運命はすでに定まっています。
救われるか、滅びるか決まっています。私たちの審判は、結審されているわけですね。
そのとき、神様は、私たちの名前を呼ばれます。「デビット・カンよ、私は、彼を永遠に生かすことに決めました。
彼は安全です。本を持ってきなさい。開いてみなさい、自分で見なさい、
そして私の審判が正当なものかどうか見てみなさい」。
天の聖所において、合唱の歌がおこります。「ハレルヤ、ハレルヤ、主を賛美せよ。
神の審判は正しいものである。正当なものである。公平なものである」という、賛美が湧きおこります。
それが調査審判です。記録の書というのは、神様のためというより、私たちのため、聖天使たちのため、
悪天使たちのためのものなのです。