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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備えて デビット・カン講演17

2012年08月11日 | 日記



   ひまわりさんより(8月11日)
今日の安息日は、ホームチャーチで礼拝しました。
讃美歌礼拝の時、賛美歌の後ろについている文語訳聖書の交読文で、詩篇19編を交読しました。
この詩篇19編は、私のひいおばあちゃんが、停電になると必ず家族を集めて、暗い中で暗唱していたのだそうです。
文語訳の聖書は、すごく格調が高く、その言葉の意味が強く心に入り、
中盤になると、感動して、思わず涙があふれそうになりました。
神様の戒めが、神様の存在そのものにかかっているのだという思いで胸がいっぱいになりました。
夕方、サンセットの礼拝の時も、聖歌の初めにある文語訳聖書で交読したら、息子も文語訳聖書が気に入ったようでした。

    聖所の清めと調査審判(デビット・カン講演17)
『各時代の大争闘』の中で、ホワイト夫人はこのように言っています。 
「真に罪を悔い改め、キリストの血が自分たちの贖いの犠牲であることを信じたものは、みな、
天の書物の彼らの名のところに、罪のゆるしが書き込まれる」(下巻215p)
しかし、また、このようにも言っています。「キリストの血は、悔い改めた信者のために嘆願し、
彼らが赦され天父に受けいれられるようにしてきたが、しかし彼らの罪は、まだ記録の書に残っていた。
型としての儀式において、1年の終わりに贖罪の働きがあったように、
人類の贖いのためのキリストの働きが終わる前に、聖所から罪を取り除く贖罪の働きが行われるのであった。
・・・古代において、民の罪が、信仰によって罪祭の上に置かれ、
そしてその血によって、象徴的に地上の聖所に移されたように、新しい契約においては、
悔い改めた者の罪は、信仰によってキリストの上におかれ、そして実際に天の聖所に移されるのである。
そして、地上の型としての清めが、それを汚してきた罪を取り除くことによって成し遂げられたように、
天の聖所の実際の清めも、そこに記録されている罪を取り除くことによって、すなわち消し去ることによって、
成し遂げられねばならない。しかし、これを完成するためには、
だれが罪の悔い改めとキリストを信じる信仰によって、贖いの恵みを受ける資格があるかを決定するために、
記録の書の調査がなされねばならない。
したがって、聖所の清めには、調査の働き、すなわち審判の働きが含まれるのである 」(下巻136p)。





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