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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いの全行程を示す聖なる幕屋  第9回

2016年06月25日 | 日記

2複数の祭祀を通じた聖所の外庭の経験

 聖所の庭に入った罪人は、祭司の案内に沿って持っていった犠牲の動物の前にひざまずいて手をその頭にのせて、自分が犯した罪を告白するようになっていました。それは、私たちが罪を告白するときに、私たちの罪が救い主であるイエス·キリストのもとに移ることを象徴するものです。そして、その罪人はナイフを取り出し羊の首を切って殺しました。まさに私たちの罪がイエス様を十字架の上で死なせたかのように...。

祭祀制度では、大きく4つの種類に分けられることになっています。聖書レビ記に記録された順序に最初の燔祭、第二は、酬恩祭、三番目は罪祭、次に愆祭に分かれています。

 1燔祭は献身と犠牲を目的にささげる祭祀です。

2酬恩祭は、悔い改めた罪人が感謝と誓いの意味でささげる祭祀です。

3罪祭は、文字通り罪を中にするためにささげる犠牲の祭祀です。

4愆祭は、罪祭と同じ種類のいけにえとして損害賠償の意味が含まれている祭祀です。

罪を償い、4つのいけにえの中で最も重要な燔祭と罪祭を見てみましょう。

燔祭を通じた聖所の外庭の経験

 その最初である燔祭は、個人的にもささげるものでしたが、特に朝と夕方に来たイスラエルの民のためにささげられていました。燔祭はクリスチャンが日毎に経験する必要がある新生の経験が何であるかを詳細に教えてくれる祭祀です。

 「1:3もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをささげなければならない。 1:4彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。 1:5彼は主の前でその子牛をほふり、アロンの子なる祭司たちは、その血を携えてきて、会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、その血を注ぎかけなければならない。 1:6彼はまたその燔祭の獣の皮をはぎ、節々に切り分かたなければならない。 1:7祭司アロンの子たちは祭壇の上に火を置き、その火の上にたきぎを並べ、 1:8アロンの子なる祭司たちはその切り分けたものを、頭および脂肪と共に、祭壇の上にある火の上のたきぎの上に並べなければならない。 1:9その内臓と足とは水で洗わなければならない。こうして祭司はそのすべてを祭壇の上で焼いて燔祭としなければならない。これは火祭であって、主にささげる香ばしいかおりである」。(レビ記1:3-9)


救いの全行程を示す聖なる幕屋  第8回

2016年06月24日 | 日記

第2部:聖域に進む道

 1聖域外での経験

 罪悪感

 一番最初に聖所に進む最初のステップは、罪人の心の中で罪悪を感じることです。私たちが罪を犯したとき、すなわち、神の戒めを破ったときに、罪悪を感じるのは、神の聖霊の働きの結果です。罪を犯した人は、審判と滅亡の恐怖を感じています。その時に、罪人は心の中の平和を渇望するようになるでしょう。罪の赦しと喜びを熱望するようになるでしょう。ですから、罪人は、罪を赦されるために聖所に持っていく完全な動物を選びます。それは罪のない完全な神の小羊イエス·キリストを象徴すると同時に、罪のない純粋な私たちの唯一の献身を象徴するものです。人間が神様に許しを求めようと進むとき、心を尽くして本当の悔い改めの気持ちを持って進まなければなりません。神様は、二心の残り半分だけの心を受け入れることはできません。

 聖所の外庭に見える3つのもの

 今、罪を犯した者は、贖いの供え物を持って聖所に向かって歩いているため、彼が聖所を見て希望が沸き起こる3つの物を見るようになります。

 1つは白い亜麻で作られた聖所の外側の幕なのですが、その白い色は罪人が聖所の中にとどまっている限り、神様の義によって受け入れて下さることを思い出させることによって大きな慰めをもたらしてくれます。

 2もう一つは、祭壇で燃え上がっている煙ですが、それは罪人が罪を告白することによって、自分の罪が燃えて、煙のように消えて無くなることに対して望みを持つようにしてくれます。

 3また、もう1つの目に止まるのは、聖所の屋根の上にとどまっている神様の臨在を象徴する雲でした。それは聖所の中に神が臨在されるという厳粛な心を持つようにさせます。しかし、同時に神様が恐れ多い方だけでなく、人間の罪を赦してくださるために、人間の中にとどまることを喜ばれる愛の神様である事実を思い起こさせてくれます。

聖所の入り口の色が与える意味

聖所に到着すると、聖所の入り口を通るようになりますが、それは門というより幕(カーテン)でした。その幕は赤、青、紫に織り込まれていました。

 1赤色はやがて来られるメシア、つまり救い主の流される血を象徴するものであり、

 2青色は、主が父の戒めを完全に守られる忠実な服従の生活を象徴するものでした。ユダヤ人たちに、青色はいつも律法に従うことの象徴でした。

 3紫は王族だけが着用する色として、王の王であるイエス·キリストの身分を象徴します。

なお、この色は、私たちクリスチャンが、イエス·キリストの血の罪を洗い、彼の言葉と戒めに従う人になって天の王国の子孫となる真理を教えるのでした。羊を引いてきた罪人は、すでにこれらの詳細な教訓と配慮を通して、深い感動を受けて聖所に入ります。彼を迎え入れる祭司は彼を親切に案内し、連れて来た供物に傷がないことを最初に確認した後、聖所の儀式の手順を説明してくれます。 


救いの全行程を示す聖なる幕屋  第7回

2016年06月23日 | 日記

B.聖所:第一の部屋(聖所)

聖所の第一の幕屋は、キリストが復活し昇天され、天の聖所に入られ、身代わりとして流された血を負って悔い改め、神様のもとへ来る者たちのためにとりなしの祈りをなし、罪を赦し、さらには、聖霊の恵みと力を分け与えて下さっている事実を示しています。その働きを始められた日は、イエスが天に昇られた翌AD 31年から開始されたことを知ることができます。使徒パウロは、その出来事を次のように説明しました。「しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。」(ヘブル9:11,12)

C.聖所:第二の部屋(至聖所)

 第二の部屋、至聖所は、イエス様が最終的に父なる神の御座の前で、人間をさばく最後の時代の贖いの局面を象徴しています。したがって、聖所の三つの部分はイエス·キリストの私たちのための贖い事業の3つの局面を象徴しているのです。




タイトル:聖所に見ることができるイエス様の地上での奉仕と天の奉仕の働き 

1外庭の祭壇:イエス様の十字架

2聖所第1の部屋:イエス様の復活、昇天後の仲保の働き

3聖所の第2の部屋:イエス様の審判の働き


救いの全行程を示す聖なる幕屋  第6回

2016年06月22日 | 日記


4、聖所の三つの部分と救いの三局面

聖所は、三つの部分に分かれています。それはイエス・キリストが、人類の救いを三段階の働きを通して、なされていることを意味します。パウロは、イエス様が私たちの大祭司であられることを、次のように説明します。

「この望みは、わたしたちにとって、いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり、かつ『幕の内』にはいり行かせるものである。その幕の内に、イエスは、永遠にメルキゼデクに等しい大祭司として、わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである。しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、 8:2人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである」(ヘブル6:19、20;7:24、25;8:1、2)。

 イエス様は私たちの大祭司として、聖所の外庭、第一の幕屋、第二の幕屋である至聖所で、罪人を贖うための働きを成し遂げられることが象徴されています。

 A.外庭

 聖所の庭で罪人が連れて来た犠牲を殺し祭壇にのせることは、イエス様がこの地上に来られ、人類のために、世の罪を取り除く子羊となられ、十字架によって身代わりの生け贄(にえ)にとして亡くなられることを象徴していました。「わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。(Ⅰコリント5:7)。「しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、・・・」(ヘブル10:12) 


救いの全行程を示す聖なる幕屋  第5回

2016年06月22日 | 日記

3地上の聖所は、天の聖所のモデル

神様がモーセに聖所を建てるように命じられた際には、次のように言われました。 「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない」。(出エジプト25:8,9)聖所は、神様が人類と再び一緒に住まれる計画を示すために考案されました。

この聖所制度全体は、イエス・キリストの受肉と地上での生涯、そのお方の働きと、天に昇られ、天でなされている働きを象徴する器具と儀式に満ちています。その中の器具の一つひとつ、儀式の一つひとつ、そして用いられる色の一つひとつに、人間を贖われるイエス・キリストの働きと教えがあり、また、イエス様に従うクリスチャンが経験しなければならない、救いの手順を象徴するものでした。この聖所制度は、神様の無限の知恵から考案されたものなのです。

そこで使徒パウロは、神様が天にある聖所の形態を明らかにし、そのひな形を作るようにモーセに指示されたと説明しています。「彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、『山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい』と言われたのである。」(ヘブル8:5)

 従って私たちは、天にもモーセが建てた聖所のような、真の聖所があることを知る必要があります。この聖所制度こそ天が啓示してくださった、私たち人類のための神様の救いの青写真なのです。神様は聖所を通して、私たちの救いを、目で見て、手で触れることができるよう計画なさることによって、神様が人類を救われる方法をより正確に理解することを願われたのです。それではこれから、聖所についての記録を通して、この重要な問題について研究してみましょう!