日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

NHKのクロ一ズアップ現代から

2007-10-04 20:26:22 | Weblog
10月9日(火)放送予定
夜間・休日 パンク寸前
~小児治療の現場から~

 少子化で子供の数が減少しているにも関わらず、小児救急に駆け込む患者が増え続けている。目立つのが風邪や便秘など軽い症状の子どもたち。救急を24時間営業の夜間病院として利用するこうした傾向を、医療関係者は病院の「コンビニ化」と指摘している。 ある病院の調査によると、患者の98%が軽症で、入院を要する事例はわずか2%にすぎない。この背景には、共働きが増え、夜しか子どもを病院に連れて行けない、いざという時相談できる相手がいないなど、小児救急に頼らざるを得ない親の事情がある。しかしその結果、本来救急が対応すべき重症患者に手が回らず、待合室で急変する事態も起こっている。また、夜間、休日の過酷な勤務に耐えきれず医師が倒れ、小児救急を取りやめる病院も出てきている。逼迫する小児救急の現場に密着し、子どもの突然の病気やケガにどうすれば適切に対応できるのか、探っていく。

 以上が10月9日に予定されている内容。是非、多くの人に見てもらいたいと思う。 
 都会で小児の救急に携わっている小児科医は、大変な苦労をされている。何が大変かと言うと、まず、その数の多さと忙しさ。少ない人数で、多くの日が深夜を含めて拘束されている。次に、いろんな親御さんへの対応。それと、今まで見ていない初診のケ一スだと、状況がよく解らなくて、下手をすると裁判沙汰になってしまう。
 その中で、一番の難儀は、やはり、親御さんへの対応である。挨拶をしない、診察の時に食べている、状況をよく見ていなくて連れて来る、医師の助言を聞こうとしない、感謝の気持ちが少ない、・・・と小児科医とっては診療しづらい面が多くなっている。
 私の様に、歳を取っているとそれにも免疫が付いていて、開き直って診れるが、理想に燃えて意気込んでいる若い小児科医には、気の毒なことだと思う。
 それに、そんなに頑張っても、小児科医1人当たりの売り上げは冴えなく、病院での立場も弱い。
 今の日本、救急病院では、多くの産科医だけでなく、多くの小児科医もぎりぎりで頑張っているのだ。



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続・(海外滞在の)バラ色の年金生活者

2007-10-04 07:45:26 | Weblog
 マレ一シアでのバラ色の年金生活をテレビで見て、将来厚生年金月20万円もらって悠々自適の年金生活をマレ一シアでしようと思った人、多いに違いない。事実、周りに少なからずいた。しかし、しかしである・・・
 外国に行って、次の2つの疑問を持った。
1、何故、日本人は、最後は日本に帰るのだろうか。
2、何故、日本人は、日本人街を作ろうとしないのだろうか?
 カナダやニュージーランドなどに行くと、チャイナタウンやコリアンタウンなど、それぞれの国の人々が群れて生活をしている。しかし、日本人には、それがない(全くない訳ではないが、他の国々の人々と比べると明らかに少ない)。 
 私が思うに、日本人の多くは、同じ日本人ばかりで長いこと住んできている。それで、異質のモノに憧れる。しかし、長いこと馴染んで来たことへの愛着は消えず、最後は、やはり、日本がいいと思い直すからではないだろうか。
 又、日本人が日本人街を作らない理由は、日本人に警戒心が少ないからではないだろうか。ユダヤの人にしても華僑の人にしても、同じ国の人が集まることで、経済的な面をも含めて身を守っていると思われる。日本人の場合は、(農耕民族のせいであった為か、闘いを拒否して日本列島に逃れて来たDNAの為か)和の精神を尊び、それは、日本人以外の人にもそれを求めようとしている(なかなかいい国民性ですね)。
 私が小さい時、肉を食べたくて仕方がなかった。すき焼きを家でする時には、一番のごちそうは、もちろん肉であった。牛肉を腹一杯いつかは食べてみたいものだと小さい時には、よく思ったものだ(兄弟4人だったので、食事の時の生存競争は激しかった)。
 しかし、その自分が来年還暦の歳にまでなると、何故か、健康上の問題もあるが、蛋白質は、断トツ魚で摂っているし、それが一番美味しく感じている。ある人に言わせると、日本人は、最後は、やはり沢庵とお茶漬けに落ち着くと言う。不思議だなあ・・・。
 長い生活習慣で、日本人は、やはり、日本での生活スタイルに一番適応する様になっている。若い時から海外生活をしばしばしている人は、別であろうが。
 定年後に1年以上のロングステイを海外ですることも結構なことである。しかし、その内に、日本が恋しくなる。お金にゆとりがあれば、暑い夏や寒い冬だけ、アチコチで海外生活をするのが一番理想的ではないだろうか。
 一度切りの人生、短い人生、いろんなことを見聞して、悔いなく実現させて生きて行ければ幸いと思う。

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為になるかも知れない本(その229)

2007-10-04 07:37:59 | Weblog
○昭和60年1月3日(木)晴。
 100人ちょっと来た。あまりひどいのはいなかった。ベビ一も落ち着いている。来年は忙しいかも知れない。○海病院の小児科医も頑張っているからかなあ。今年は体力を付けないといけななあ。休むことが大切だなあ。まだ、インフルエンザがはやらないなあ。
○昭和60年1月4日(金)晴。
 田中事務長さんが挨拶に来た。年明けはいつも小児科は多い。来年はどうしても小児科医の常勤医が1人欲しい。
○昭和60年1月6日(日)晴。
 天気が悪いせいか、喘息が多い。入院も多い。考えたら昭和60年になっていて、しかも、年末年始が終わっているのだ。今年の誕生日(5月28日)で満36歳にもなるのだ。信じられない。自分の成長と比べて、子どもの成長は超特急だなあ。
○昭和60年1月9日(水)晴。
 家族で久し振りに「味蔵」で食べた。1週間に1回ぐらい、こんな感じで家族で外食できるといいなあ。飲み代を節約すれば何と言うことはないはず。○○ベビ一の状態が悪くて、○○助教授が来ていたが、ナ一スが自分に電話して来て、ずっと格闘しながら分娩室に泊まった。(800g程で、肺が真っ白のRDSで)親も諦めている感じで、結局亡くなってしまった。
○昭和59年1月11日(金)晴。
 他に掛かり付けがあって、時間外だけ来る人が多い。救急病院だから見てもらえるのが当然と思っている感じだ。しかし、実質、小児科は自分1人でしているのだ。まあ、病院から高給をもらっているから仕方ない面もあるが。とにかく、個人病院の厳しい所は、採算が合わなければどうしようもないと言うことだ。
○昭和60年1月12日(土)晴。
 150人ちょっとしか来なかった。少ない。本当に。○海病院の(同級生の小児科医の)○○君、どこで開業するのかなあ?○海で1人で頑張っていて、大変だったみたいだなあ。医療生協の○井先生も、日赤の○先生も開業しても、救急はしないし、当然ベビ一はない。1人勤務医の方がやはりきついなあ。
○昭和60年1月13日(日)晴。
 ゆっくりした。本当に久し振りに休んだと言う感じだ。年末年始以来、ずっと24時間働き続けていたのだ。宮医大から(いつも来てもらっている)○○先生が来れなくて、○○先生が(24時間)来てくれた。

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