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○昭和60年2月2日(土)晴。
200人近く来た。ひどいのが多い。ダウンの子の死亡診断書を書いた。腹の調子が良くない。今日も明日も、(医大から代診の医師が来ないので)この状態で頑張らないといけない。
○昭和60年2月4日(月)曇。
210人程来た。インフルエンザらしきものが多くなった。ワコは熱が下がり、ミ一コも風邪気味、でも元気。頭がまだ痛く、恵ちゃんも頭痛あり。医者と言うのは自分が病気でも休めなくて大変だ。今年の5月で満36歳になる。若いからまだ頑張れるけど。
○昭和60年2月8日(金)雨。
○○○ベビ一の父親が、すごいけんまくで、「入院していないのにベビ一が肺炎になったのはおかしい、どうしてなったのか説明して欲しい、自分の子どもだけ無菌状態にして欲しい、あやまらないのはおかしい、あの時母親と一緒に帰っていたらこんなことにはなっていなかったのに、ベビ一室に他の人がス一ッと入っていけるのはおかしい」などと言ってきた。この父親、電話でばかりいろいろ聞いてきていて、来るとこんな感じで文句たらたら言う。こんな経験をして行くと、新生児するのが全くいやになっちゃうよ。
○昭和60年2月9日(土)晴。
240人前後来た。今年で一番多いかなあ。しかし、もっと多くなりそうだ。
○昭和60年2月12日(火)晴。
午前中だけで180人は診た。総計240人ちょっと診た。昼寝も出来ず、ゆっくりする暇がなかった。火曜の健診をしなかったので、それが入っていれば、もっと多かったのだが。ここでの今までの最高は290人、300人の壁は厚いなあ。(1日小児科外来数が300人近くになることは何度があったが、結局、この病院では、300人を越えることはなかった。たはら小児科医医院では、300人を越えたことが一度だけあったが)
○昭和60年2月13日(水)晴。
○○○ベビ一のお父さん、前と違って、すごくおとなしくなってこちらの言うことを理解してくれた。話せば解る人が多いと思う。実際に、こちらが一生懸命にしていることを見てもらえれば、誤解が取れることが多いと思う。電話では、うまくいかない。医療は、やはり、お互いの信頼関係だと思う。医者は、いつも冷静でおれることが大切だなあ。解ってもらう為には、それなりに時間が掛かることが多い。(西田病院に来てから、大きな訴訟を2つ既に経験済みだったので、その後は、親御さんとのトラブルに関しては、いつあっても不思議でないと言った感じになって、開き直っていた)
○昭和60年2月15日(金)晴。
アメリカ人ボブから、病院前の○○宅で(自分と、脳外科の○屋先生、外科の○田先生、整形外科の○内先生の4人が)今日から(週1回、金曜の夜に)教わることになった。ボブ、とても感じのいい人だった。聞く力がなくて、簡単な単語も聞き取れない。書くと、皆理解できる。どんな単語を書いてもその意味を知っているのに、簡単な単語のヒアリングも出来ないそのギャップに、ボブが驚いていた(専門の医学用語をこちらが教えてあげたが)。英会話の目的は、もりろん、将来外国旅行をする為。外科の○田先生、スラスラと英語が出て来て、上手だなあ。
○昭和60年2月16日(土)晴。
早朝来た14歳の女の子、登校拒否があり、多呼吸、テタニ一様の手足で来院(初診)。脱水症状あり、失禁していて、初め、過呼吸症候群と思ったが、どうも経過がおかしい。血糖の検査の値を見て驚いた。血糖が400以上もあった。で、インスリンを打ち、直ぐに県病に救急車で送った。これで、こんな感じでの糖尿病の初発での経験、2例目だなあ。前は、1歳(深夜に来て、点滴するも朝になっても多呼吸がとれてなく、おかしいと思って検査したら、血糖値が400以上もあった)だった。ここにいると、いろんな症例に出くわす。勉強になるなあ。