日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

アルコールと私・・・

2018-06-14 19:09:32 | Weblog
 大学にいた時、時々、〇〇町立病院に1週間程、泊まり込みで行って、診療していました。
 そこに勤める常勤の内科のドクターと一緒に、夕方から、アルコールが入って、雑談していました。
 翌朝、私が回診していると、一緒に飲んでいたドクター、二日酔いって感じの顔をして、回診していました。
 で、言われました、「こんな強い人、初めて・・・」と。
 前日の夕方からの雑談の時、ダルマ(ウイスキーサントリーオールド)を1本空けて、それも、私が、チョビチョビでなく、グイグイと、水を飲む感じで・・・更に、ダルマ半分程空けていましたが・・・。(殆ど、私が飲んだ感じで)
 アルコールとの本格的な出会いは、大学に入った時で、歓迎会で、ビールや焼酎などを飲まされて、帰ると、息苦しくて、背中が痛くて、長いこと眠れなくて、難儀したことを覚えています。
 ジンフィーズが美味しいなあと思っていたのですが、大学卒業後、たまたま、カカオフィーズを勧められて、飲んだ時があって、これ、美味しいなあと思って、それを飲む時期がしばらく続きました。
 しばらくして、ウイスキーのダルマを飲む機会があって、これが、更に美味しいと思い、それに変更して飲む時期がかなり続きました。
 更に、好みが、いろいろと変化して行き、ウイスキーがブランディーになり、それが、イイチコや二階堂麦にもなり、そして、冷酒へと変化して行きました。ワインがとても美味しいと思う時もありました。
 で、アルコール瓶を集めることにも懲り、自宅の半地下室には、100本近く程、(空けてない)ボトルが並んだこともありました。(←今は、残念ですが、1本もないです。)
 で、今は、年に5回もアルコールを取ればいい方で、それも、ワインのことが多い感じですが。
 今の私は、宴会でも、全く飲まないので、昔の私を知っている人は、驚きます。元々は、アルコールには、父からのDNAの関係で、強いのでしょうが、今は、ちょっとでも飲むと、翌朝、頭が痛くなり、又、血圧も上がりますので、飲まないと言うより、飲めません。
 家内と一緒に食事をする時も、家内は、ビール(やワイン)で、私は、ウーロン茶を飲んでいます。
 昔、佐伯の救急病院で勤務をしていた時、夜、MRさんと一緒に、(救急医療の合間に)飲みに出て、電話があれば、又、病院に行って、又、飲みに出てって感じのことが何度もありました。
 時々、大学から来てもらって、代診してもらっている時は、スタッフ沢山と一緒に食事会をして、必ず、二次会もすることが多く、二次会では、メチャクチャ、飲んでいました。フラフラ状態になるまで。(←こんなことが長く続けば、必ず、身体を壊しますね。周り見ると、酒とタバコを殆ど毎日欠かさない生活をして、仕事が超熱心な人、例外なく、倒れていますね。私は、タバコは、全く無縁でしたが。)
 いつから、アルコールを飲まなくなったのか、私自身も、はっきりと分かりません。いつの間にかですね。
 そのきっかけは・・・→佐伯の救急病院勤務の時、小児科の忘年会で、どうしても代診がなくて、しかし、控えめに飲んでいたのですが、夜の8時過ぎに、脱水のひどい子が来て、どうしても点滴をしないといけないことになり、いつもは入る点滴が、入らなくて、何度かしてやっと入り、そのことで、しばしばナースから、「先生、あの時、入らなかったね・・・」と、何度も言われて・・・(←ああ、やっぱり、医療をする時は、アルコールは、少しでも駄目だなあと思う様になって・・・)。
 又、やはり、佐伯の救急病院勤務の時ですが、アルコールの匂いがしない様にと、普段の平然とした顔をして、親御さんの顔を見ないで話す様にして、診察していると、親御さんから、「小児科の先生、大変ですね、こんな時(土曜日の夜)に、皆、宴会で飲み歩いているのに、先生の場合は、酒も飲まないで・・・」と言われました。飲んでいるとは、言えず、ああ、やはり、救急医療をする医者は、飲めないなあと思いました。
 で、今は、宴会でも、アルコール全く飲まず、ウーロン茶を飲んでいます。晩酌したことも、ありません。

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点滴と私・・・

2018-06-14 06:24:15 | Weblog
 小児科では、脱水がひどい時、点滴をします。脱水がひどいと、血管が細くなり、血管に張りがなくなり、針が入りにくくなります。一度失敗すると、同じ箇所は、もう、しばらくは、血管が使えなくなります。次に入りやすい別の箇所を探すことになり、難易度が上がります。
 それに、子どもは、泣くので、又、親の心情を考えると、それ等がプレッシャーになって、いつも入る血管も、優しいドクターやナースだと、入らなくなります。そんな時、同じ人間が3度して出来ない時は、代わりの人がすることになることが多いかと思います。
 佐伯の救急病院に就職した時、(新生児・未熟児を含む)小児科のナースで、小児科経験者は全くいなくて、初めの頃は、全て、私が点滴をしていました。当初、1000g以下のベビーも産まれ、深夜でも、どんなことがあっても、抜ければ直ぐに起きて、入れていました。
 当時は、翼状針全盛時代で、翼状針だと、入り易いのですが、直ぐに抜けてしまうのが欠点でした。どうしても出来な時は、カットダウンしたことも(昭和51年の私の県病院時代には)ありました。
 佐伯のベビー室(→私の案で、新生児・未熟児センターが出来ましたが)で、深夜、私が難儀しながらも、点滴をしている姿を、ナースが何度も見て、ナースの方から、「先生、私たちがしてもいいですか?」と言ってもらえました。それは、その病院に就職してから、1ヶ月程経過した時でした。私が、睡眠不足状態でも、一生懸命に入れているのを見て、いたたまれなくなったのだと思います。
 嬉しかったですね。ホント。それからは、小児科のナース全員が、未熟ながらも、入院でも外来でも、私が忙しい時は、点滴に挑戦し始め、症例が多いので、飛躍的に腕を上げました。
 で、私の腕は、この15年間近くで、どんどん落ちて行き、又、ナースも、私を次第に当てにしなくなったこともあって、今では、完全にナースに頼り切っています。(天草での職場になってからは、点滴することが、殆どなくなりました。)
 天草では、私の仕事は、ナースが、点滴が入らないで難儀している時、親御さんに丁重に頭を何度も下げて、いろいろ説明して、親御さんの気持ちを和らげることでした。
 今の職場では、採血も点滴も、ベテランナースがしています。とても上手で、完全に頼り切っています。もう、私の歳は、来年、70歳ですから。
 (私、69歳ですが、まだ、急病センターに行ったり、当番医も、していますが・・・)

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