日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

世界はつながる・・・?!

2010-08-22 17:31:07 | Weblog
 8月22日(日)の午前中、スカイプを利用して、自宅と母の自宅と鹿児島の3者で、してみた。声は、3者ともよく出るのだが、映像が出ない。何でも、参加者が多くなると、情報が多過ぎて、直ぐにコンピューターが対応できない為とのことらしい。その内、いい機種が出来て、可能になるのかな?
 何せ、インターネットの回線さえあれば、簡単に、無料でいつまでも出来るのがいい。ソフトは、インターネットでダウンロードすればいいし、買った「LOASのPCカメラMCM-14」も、3000円余で、以前と比べて、高性能で素晴らしい。
 母も、「何かの時は、顔も見れて、連絡できるよ!」と言うと、とても嬉しそうだ。しかし、実際に帰って来て欲しいって感じで言われた(当たり前だなあ・・・)。
 歳をとると、身内との連絡がないと、心細くなる。しかし、こんな感じで、スカイプ使って、どこに行っても連絡が取れる感じになると、何か、人生観、変わらざるを得ないなあ。イヤー、これが何故大流行しないのか、不思議?!
 

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自転車でエッチラオッチラ・・・

2010-08-21 23:36:59 | Weblog
 8月21日(土)、18:30から、鶴岡地区の盆踊り大会が始まった(以前は、母が今住んでいる若宮地区に住んでいた。昔、若宮地区でも、盆踊り大会があったが、いつの間にか消滅してしまった。鶴岡地区は、若宮地区の隣)。自転車でエッチラオッチラ漕いで行った(20分程掛かる)。
 昨年同様に、広いコスモタウンの駐車場であり、打ち手は、いつもの顔ぶれ(新人なし)。打ち手のある人から、「もう、鶴岡グループに入ったら・・・。27日(金)の長門(記念病院)の夏まつりにも、来てな!」と言われた。19:10過ぎまで打って、それから自転車で又エッチラオッチラ漕いで、新女島地区に19:30頃に着いた。(新女島地区は、自分の住んでいる長島地区の隣)
 ここでも、昨年同様のメンバーで、和気合い合いって感じで打った。皆、打ち方がそれなりに違う。打ち方を真剣に見つめている人が例年以上に多かった。
 とても暑い中、又、いい汗をかいた。汗を沢山かかない太鼓なんて、太鼓じゃない・・・!!(←自転車を漕いだせいだったりして・・・?!)


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高校野球・・・

2010-08-21 17:23:01 | Weblog
 8月21日(土)、高校野球の決勝戦があり、初めから終わりまで、楽しく見れた。大差なのに、何故か、最後まで楽しく見れた。(甲子園に行って応援している人、この暑い中、ホント御苦労様!)
 高校野球は、亡き父がいつも楽しみにしていて、特に夏は、殆ど全試合をテレビで見ていた。父は、プロ野球には、全く関心がなかった。そのせいか、自分も、父ほどではないが、プロ野球にあまり関心ないが、高野球には、少なからず関心を持ってきている。
 高校野球のいろんな名勝負を今まで見てきている。今回、試合終了後に、大会会長の前に挨拶した人が、興南高校を差し置いて、先に、「東海大相模高校の選手の皆さん、準優勝おめでとう!」と言った。ジーンと来てしまった。
 興南高校の監督も、「敗れたチームのことも考えよ・・・」って教育を選手にしている。又、選手自身も、春優勝しても、又、1から出直しの気持ちで頑張ってきている。春夏連続優勝が如何に大変なことか・・・!!そこに、監督を中心にしてのしっかりとした人間教育があってこそ、成し得たことだと思う。
 九州大会で優勝すると、「アア、今度の甲子園では、もう駄目だなあ・・・」って感じで周りが言っていたことがあった。つまり、周りが騒ぎ過ぎて、選手が天狗になってしまうのだ。本人は、その気でなくても、周りが持ち上げるので、次第に偉くなった感じになって、努力を怠るのだ。投手がそんな感じになって、浮き上がってしまうと、結束力は一気に崩れてしまう。
 しかし、「勝って兜の緒を締めよ、負けてくじけるな」精神で、神奈川の「一二三投手」も、沖縄の「島袋投手」も、自分にとても厳しい感じで、ここまでよく頑張ってきたことが、見ていて、よく分かった。
 両チームに対して、名勝負、ありがとう。最後まで、全力を尽くす至誠、ホント、素晴らしかったです。


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鹿児島・・・

2010-08-21 11:05:27 | Weblog
 鹿児島に初めて行ったのは、昭和45年の大学入試の時だ。今が昭和85年だから、ちょうど40年も前になる。大学に入った当時は、よく灰が降っていた。
 乗った運転手さんの話だと・・・→15~16年前、灰が凄く降って、10~15m先も見えなかったとのこと。
 今年も、6月~7月に沢山降ったとのこと。
 灰にも、2種類あって、白いのは、早く除去しないと大変。そこで活躍するのが、大学生で、一軒の灰を除去するのに、1万円近くのバイト料になることもあり、数軒はしごして、我々よりも金持ちになっていると言われていたけど・・・?!
 夏、風の向きが鹿児島市内の方向に向くと、もろに灰を浴びることになり、その後、雨が降ることが多くて、それを流す感じになるけど、今年は、雨が降らないとのこと。
 鹿児島市の人は、桜島の灰は天災だと思って、諦めているのだろうなあ。鹿児島県人、傑出した人が多いのは、桜島の灰をして、耐えることをしっかりと小さい時から学んでいるからかな・・・?!
 灰が降って一番喜んでいるのは、その時に来た観光客とのこと。そう言われれば、札幌の雪まつりの時、普段よりも寒くて、猛吹雪で、自分も喜んでいたなあ。
 九州の西の方は、新幹線がもうすぐ開通とのことで、どんどん開けているのに、東の方は、まだまだだなあ。
 20日(金)に帰る時は、曇り空で、桜島の上に雲がかぶさっていて、帰りも、すっきりした桜島の写真が撮れなかった。
 又、来年も来るだろう。暑くて遠くに行かなくても、鹿児島中央駅周辺だけでも、楽しいなあ。
 

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昔の話・・・

2010-08-20 10:00:17 | Weblog
 8月19日(木)の13時より、ホテルに隣接した建物の中にある映画館で、「ベスト・キッド」の映画を見た。(保険証を出してその年齢を証明して)我々遊び人の2人、高齢な為(?)、2人で2000円で入れた。
 映画の内容・・・→父親が死亡し、仕事の関係でデトロイトから母と一緒に北京に来た男の子が、いじめに会う。その男の子がジャッキー・チェンから手ほどきを受けて、次第に強くなる。そして、いじめっ子を決勝戦で負かす。
 それまでも「ベスト・キッド」の映画は、自分の子ども達は、3つ共見ているが・・・今回は、ジャッキー・チェンが出ていることで、それなりに興味深く見れた。(とてもいい映画ですね!)
 その後、墓に捧げる花を用意して、タクシーで家内の母親(以下義母)の家に行き、そのままタクシーに義母も乗って、家内の父親の墓参りをした。(しばらく参りに来なかったので、申し訳ありませんでしたと言う気持ちで、一杯だった。)
 義母の家の階段には、7人の孫の写真がズラリと飾られている(全て、孫の写真)。長女が、マメに義母にしばしばハガキを出していることを初めて知った。返事を出してないのに、申し訳なくて・・・と、義母は言う。
 義母は、現在8○歳。鹿児島女子師範学校在学中に、学徒動員となり、愛知県の名古屋→岡崎と行き、そこで兵器を作っていたとのこと。そこに行った同級生(40数名)は、体が大きい人が多くて、服が合わなかった人が多かったとのこと?!その時、体が弱いことなどでそこに行けなかった(数名の)同級生は、鹿児島の空襲で、不幸にも全員亡くなったとのこと。
 岡崎で終戦を迎えて、(その日か翌日に?)鹿児島に帰る時、車内が一杯で乗れなく、窓に手を掛けたままで、汽車が動き出し、しばらくして、(幸いに)中にいた人が手を引っ張ってくれて、車内に入れて命拾いしたとのこと。しかし、中は、全く身動きできない状態だったとのこと。
 食事は、「カタパン1袋」と「煎りダイズ1袋」のみ。しかし、それを食べるとお腹の調子が悪くなるので、それも、少ししか食べなかったとのこと。
 2~3日(?)かけて、鹿児島県着いたが、「竜ケ水駅」辺りで汽車が止まって、それからテクテク暑い中を、線路の上を歩いて鹿児島の駅まで帰ったとのこと。
 鹿児島の駅(今の鹿児島中央駅)では、兵隊さん達がズラッと出口に並んでいて、そのみすぼらしい姿に驚いた(!)とのこと。兵隊さんから「食べるものがないんで、何か恵んで下さい・・・」と言われて、持っている「カタパン」と「煎りダイズ」を皆が上げたとのこと。その時、鹿児島市の中心は、正にずっと一面、焼け野原だったとのこと。
 現在生存しているその同級生が、今年の8月に、その時のことを思い出して原稿を書き、それを集めて小雑誌にして発行している。(凄いエネルギーだなあ・・・!)
 義母は、かって大学病院に入院したことがあり、義父には、主治医から「後、奥さんは1週間です!」と告知されていた。それが、説明を受けた方が先に亡くなり、又も、命拾いした義母は、現在、それなりに元気で、この日は、戦後の面白い話をどんどんしてくれた(こんなに話す義母、初めて見た。)・・・→夜も更けて、遅くなったので、タクシーに乗って宿泊ホテルに帰った。(義母が生徒に教えていた教科が、何と、体育だったとのことで、これには、家内もそんな話を聞いていなかったみたいで、驚き!)
 

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桜 島・・・

2010-08-19 09:51:22 | Weblog
 佐伯駅を11:04に出発して、宮崎駅で30分ほど待って、乗り換えた。待っている間に、宮崎の駅弁を買った。オーストラリアのサンドイッチと比べて・・・850円で安い!とても綺麗!そして、美味しい!それに、栄養のバランスもよく取れているかな。
 鹿児島中央駅には、15:41に着いた。着く前に、雨が急に降ってきた。肝心なところで、桜島が電車から見えない。デジカメを持って構えていたのだが・・・。
 仕方なく、「(改札出口から1分足らずの)JR九州ホテル鹿児島」に着くと、その敷地内に隣接したデパートにある「観覧車」に乗った(その時には、幸いに、雨が上がっていた)。
 この観覧車、乗る部屋に2種類あって、周りが全てガラス張りとそうでないもの。待ち時間がないので(ホントは、怖いので)、ガラス張りでない方を選んで、切符を買って直ぐに乗る。元々私は高所恐怖症って感じだが、家内は、楽しそう(?)で、夜も又乗ってみたいと言う。(エエッ!)
 オーストラリア人にとっては、こんなものでは物足りないだろうなあ。メルボルンのスゴク高いビルでは、上の階には、部屋が外に飛び出るしかけがあって、そこでは、瞬間的に周りがガラス張りになるけど・・・?!!
 暑い夏のはずが、冷房が、建物の中、効き過ぎている感じで、上は一枚だけだったので、寒い。夕食を摂った中華料理店も寒かった。(明日は、鹿児島市は、最高温度が35度になるとか・・・)
 (駅の敷地内の)カメラ屋で、カシオのデジカメを見た。自分の持っているカシオの「EX=FH100」に値段が付いていない。何故?!客との交渉で決まるのかなあ・・・デフレで、値段がどんどん下げられて、大変だなあ。(このデジカメ、ほぼ、完成品だと思うし、昔だったら、軽く、10万円を超えるシロモノだと思うんだけど・・・。海外の人が買いあさるのが分かる気がするけど・・・。)
 それにしても、観覧車から見た桜島、絵になるなあ・・・!。家内の父親(中学の国語の教師だったが)は、よく、桜島の絵を描いていたなあ・・・。

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河内おとこ節・・・

2010-08-18 01:22:13 | Weblog
  8月17日(火)、長島地区の隣の来島(くるしま)地区での供養盆踊り大会に行った。昨年は、14日にあり、いつも行く女島と同じ日になっていて、来島では、初めのちょっとだけしか打てなかった。
 行くと、いつもの打ち手の人がいて、「助かった!」といきなり言われて、ホントに嬉しそうだった。昨年は、自分がいなくなった後、ずっと最後まで一人で打って、大変だったと言われた。
 区長さんも直ぐに挨拶に来て、ホントに嬉しそうだった。
 二人で、思い切り打った。嬉しかった。何と、曲が、「佐伯音頭」「佐伯小唄」「炭坑節」「ばんば踊り」「地踊り」以外に、子どもの曲(?)が2曲、それに、何と、「河内おとこ節」も流れた。(総計8曲)
 「地踊りは」いつもの様に打たず、「河内おとこ節」は、自分に打たせてもらった。不思議なことに、自分の打つ「河内おとこ節」に合わせて、踊っている人が結構いた。「佐伯小唄」も何度も流れて、これも、殆ど自分が打った。
 打ってしばらくして、右のバチが(不思議なことに)真っ二つに(ほぼ均等に、縦でなく横に)スパッと切れた。こんなに見事に切れたこと、今までなかったなあ(誰もケガしなくて、幸いだった!) 。手が痛いので、軽いバチに代えたのがいけなかった。直ぐに、硬い樫(かし)のバチに変えて打った。
 踊る人も見ている人も、例年よりも多い。それに、半分が子ども。いや、子どもが半分以上もいる。地踊りも、子どもたちが楽しそうに踊っている。何でも、来島の近くに団地が出来て、そこからの子どもがドッと来ているとか。区長さんも、「子ども用に100人分お菓子を用意していたが、全く足りなくて・・・」と嬉しい悲鳴を上げていた。
 前半と後半の間に、子どもたちが太鼓の周りに来て、バチで打ちたがっている。ここぞとばかり、打ち手の人が、(小学生の)男の子達を勧誘している。「後継ぎがないんで、困っとるんや。来年、打ってくれんね。毎年、少しずつして行けば、必ず上手になるから・・・」と、バチを持たせて、打たせている。自分も、男の子の手を取って、「佐伯音頭」の曲に合わせて打たせた。(少し脈があったかな・・・?!)
 帰る時、区長さんから、例年もお願いしますと深々と頭を下げて言われた。(精一杯打たせてもらって、ホントは、こちらが礼を言わないといけないのだが・・・!)
 一番打ちたかった「河内おとこ節」が久し振りに打てて、嬉しかった。手の皮のむけた所が更に真っ赤になってしまったが、(好きなことだから)何のその・・・。
 今日は、家内の父親の墓参りに、鹿児島に行く。

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盆踊り三昧・・・

2010-08-17 09:09:48 | Weblog
 8月16日(月)、自分の住む長島地区の供養盆踊り大会があった。昨年は、雨で順延になったが、今年は、予定通りだった。世帯数が多いだけに、いつも盛大だが・・・。前半の終わり頃には、3重にも輪が出来ていたが・・・。
 10年前は、もっともっと多かったなあ・・・。人人人って感じで、広い公園にビッシリいて、最後には、隣の渡町台(とまちだい)小学校では、花火も上がり、踊る曲も、今回の3曲(佐伯音頭・ばんば踊り・地踊り)でなく、それに、「河内おとこ節」「炭坑節」「佐伯小唄」「子どもの歌」が加わっての7曲だった。(私は、盆踊り太鼓を打つのに、本心、「河内おとこ節」が一番好きだが・・・)
 長島の盆踊りでは、例年、地区以外の人が沢山来て踊る風景が見られているが、今回は、外国の人の姿が見られなかった?この日、ちょうど太鼓プロ集団の「TAO」の演奏があり、そちらに少し流れたのかも知れない。
 家内からデジカメで自分の打つ姿をビデオで撮ってもらって、夜、遅くまで、何度もそれを見て、研究した。
 盆踊り太鼓では、リズムがあっている、打つ音がよく聞こえる、格好がいいと言うのが3つのポイントだが・・・→自分の場合は、リズムは、(意識的にいつも合わそうとしているので)バッチリ合っていた。音は、太鼓が踊りの中心にあって、地面の上に台を置いているので、よく聞こえていた。ただ、恰好に、少しでなくかなりの改善の余地があると思えた(太鼓名人○○さんの場合だと、打っている時、いつ写真に撮っても様になっているが、自分の場合は、瞬間的でしかないなあ・・・)。
 打ち手は、いつもの顔なじみのメンバーだったが、昨年から加わった新人の若手の高校生(1年生)、かなり進化していた。かなり練習をしたのだろう。彼が将来、中心になってここを背負うだろう。来年が、又、楽しみだ。
 真剣に打ったので、右の人差し指の根元に、横1cm程の豆が出来て痛い。それでも、今日も、長島の隣の地区の来島(くるしま)の盆踊り大会には、行って打つつもりだが・・・。
 

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太鼓の合間に・・・

2010-08-15 22:18:34 | Weblog
 8月15日(日)、昨年、初めて打たせてもらった蛇崎地区に行って、太鼓を又打たせてもらった。曲は、「佐伯音頭」「ばんば踊り」「佐伯小唄」「炭坑節」「地踊り」の5曲で、順に同じ割合で流れていた。
 昨年同様に、同級生の○田君(獣医)も来ていて、初め5人ほどで打っていたが、前半の終わり頃には、3人だけで打つ感じになっていた。
 合間に、○田君の話を聞いて、面白かった。
 犬の入院設備を5ベッド程、持っているとのこと。パピークラスで訓練した犬だと預かれるが、新患で、急に宿泊を依頼されても、夜鳴いて周りが困るので、断らざるを得ないとのこと。で、そんな場合、試験的に泊らせて、様子を見て、いい様だったら、それも可能とのこと。
 兎に角、かかりつけで、自分の宿泊施設に慣れている場合は、夜鳴かないので、可能とのこと。
 何でも、(飼い主から離れて、寂しくて)夜鳴く犬は、免疫力が落ちて、その後にいろんな病気を引き起こすとのこと(その犬の弱い所が発症するとのこと)。(→人間と同じですね・・・!!)
 今日も、いい汗をかいたなあ。
 

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ばんば踊り・・・

2010-08-14 23:25:24 | Weblog
 8月14日(土)、19時より21時半まで、女島(めじま)地区の供養盆踊り大会があった。
 昨年と同じ感じで、参加した。昨年より、踊り手が少し多い感じがした。女島の区長さんからしっかりと覚えられていて、「いつも、ありがとうございます。ここは、打ち手が多くて、助かるんですよ・・・」と言われた。(新人いなくて、いつもの顔ぶれで、平均年齢70歳近くだと思われるが・・・?!)
 「炭坑節」「佐伯音頭」「ばんば踊り」がそれぞれ数回かかった、後、「地踊り」2回と「佐伯小唄」1回がかかり、曲数は、5曲だった。合間に、いつも、自分の様に、盆踊りの時期に、アチコチの地区に行って打っている(太鼓名人の)○○さんと話した(彼は、かなりの人を教えてきている。)
 彼は、小さい時から、(盆踊り太鼓打ち名人の)父親に付いて、盆踊り時期に、太鼓の打ち方を見ていたとのこと。小学生になると、茶碗で父親から教わり、小学校の4年生の頃から、本格的に打っていたとのこと。
 19歳の時、(宮崎県の)延岡から来て、長島地区に住み、長島の供養盆踊り大会の時に、「(延岡の盆踊り曲の)ばんば踊り」のテープを持って行って、その曲を流してくれる様に頼んだとのこと。
 初めから快く受け入れてもらって、幸いに、その時、延岡からの人もその場にいて、踊ってくれたとのこと。それが、10年近く続き、他の地区でも、踊りやすい曲だと噂が次第に広がって行って、他の地区でもその曲が流れる様になって行ったとのこと。
 19歳の時から、盆踊り時期、佐伯のアチコチを回って打っていたとのこと。そんな人間は、他にはいなかったとのこと。当初は、よそ者が打つのは、御法度的な考えの人が多かったとの事。頭を下げて、佐伯音頭や佐伯小唄を打たせてもらっていたとのこと。
 彼は私に言った、「打ち方なんてどうでもいい。踊り手が踊り易ければそれが一番いい。地踊りは、その地区独特の打ち方があるので、打たないことにしている。」と。(私と同意見)
 久し振りにいい汗をかいた。

http://www.youtube.com/watch?v=y8zoY0U3pZI

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